宮沢賢治の『二十六夜』2018年03月09日

昔、某プラネタリウムで『土曜の夜のプラネタリウム』という、プラネタリウム(の会場)を使った天文講座をやっていたある回に、『宮沢賢治と星』みたいなタイトルで解説したことがありました。その内容はもはや忘れてしまいましたが。

講座が終わってお客さんを見送っていたとき、ある女性が声をかけてきました。
 「先生は宮沢賢治研究会の方ですか?」
いやいや、私は会員ではなく、ただの愛好家の一人です。
 「『二十六夜』という作品をご存じですか? 興味深い話なので、よかったら是非」
と勧めていただきました。

早速手持ちの賢治の本を探したのですが見つからず、図書館で調べたら、普及書には収められてなくて、宮沢賢治全集に入っていました。読んでみると、フクロウの世界の、とても仏教的な物語。そして、逆三日月である二十六夜の月の出が三体仏に見えるという話し関係がありました。

二十六夜の月が出る時に地平付近の大気の揺らぎで3つに分かれて見え、それを三体の仏様に見るという地域があると、これまたずいぶん昔にお『星の手帖』誌の記事で読んだ記憶がありました。その記事は奈良地方のものだったように記憶していて、ネットで検索するも見つけられず、記事の内容を確認できずにいました。そこで賢治の『二十六夜』は、その記事が見つかったら確認しようと思っていました。

『星の手帖』は、友人が全号を自炊PDF化してくれていたので、あとは目的の記事が何号に載っているか分れば読めるのですが、自炊につき画像PDFなので検索できずにいました。
それが最近、画像PDFをOCRしてくれるソフトを見つけたので、検索できるようになりました。早速『二十六夜』で検索したら、Vol.25に載っているとのこと。そこで書棚を見ると、処分し損なった在庫に現物がありましたぁ\(^o^)/



読んで私の記憶の勘違いが判明しました。この『二十六夜現象』は、何と岩手県盛岡市での話でした! だから賢治は知っていたのかぁ!

そこで改めて賢治の『二十六夜』を読むべく、図書館から本を借りてきました。


最近流行りの、暖かい雰囲気の本。『宮沢賢治コレクション 4』。何となく読みやすい感じ。
以前借りたのは全集でした。中身は同じなのですが、本のデザインの雰囲気で、こうも読みやすさが変わるものなのか?と驚きでした。


宮沢賢治の『二十六夜』は、およそ次の様な物語。
登場するのはフクロウたち。
夜の松林の中で、フクロウのお坊さんが他のフクロウたちに、信仰について講釈しています。

文中でハッキリ書かれていないのですが、つまりは次のような話。
自分たちが今フクロウという小禽として生まれ生きているのは、ひとえに前世の悪行の縁によるもの。また生きるために他の生き物を殺し食べている。これらの罪を償うためには、他の命のために自らの命を投じる心構えを持ち、そのように行動することだ。

まるで、『銀河鉄道の夜』の中のサソリの物語のようです。『よだかの星』にも通じるものがあります。

『二十六夜』では、お坊さんの話を静かに聴いていた子供のフクロウ・穂吉(ほきち)は、ある日人間の子供らにつかまり、おもちゃ遊びされてしまいます。そして子供らは遊びに飽きると、穂吉の足を折って捨ててしまいます。なんとか林へ戻ってきた穂吉は苦しみながらもお坊さんの話を聴きます。

 「さあ、講釈をはじめよう。みなの衆 座にお戻りなされ。
  今夜は二十六日じゃ、毎月二十六日はみなの衆も存知の通り、二十六夜待ちじゃ。
  月天子(がってんし) 山のはを出でんとして、光を放ちたまうとき、
  疾翔大力(しっしょうたいりき)、爾迦夷(るかい)、波羅夷(はらい)の三尊が、
  東の空に出現します。・・・」

やがて東の山から二十六夜の月が姿を現し、そこに「金いろの立派な人が三人まっすぐ立って」見えます。みんなは「南無疾翔大力(なむしっしょうたいりき)、南無疾翔大力。」と大声で叫びます。その後穂吉は、かすかにわらったまま、息をしなくなりました。


さて、これを契機に、『二十六夜』の月の信仰について調べてみようと思います。

宮沢賢治の伝えたかったこと2017年02月08日

宮沢賢治の作品、特に彼の傑作である『銀河鉄道の夜』に接するたびに思い出すコト、それを私に教えてくれた本を思い出します。『『銀河鉄道の夜』とな何か』(村瀬学、大和書房、1989)です。


この本に出会うまでの私は、宮沢賢治の作品の中に記された星・天体の話しを採集し、また多くの本がそうしているように、作品に出てくる星が実際のどの星かを同定することに興味を覚えていました。
なので、作品の鑑賞は二の次だったのでした。

そんな私の賢治への関心が変わったのは、映画『銀河鉄道の夜』のエンドロールの時に語られた『春と修羅』の一節との出会いでした。

  イラストは、精神症状の理解とアセスメントサイトのスライドから

この、賢治の、何ともいえない世界観を知ったとき、私の賢治作品を見る目が変わりました。文章の言葉尻を追うのではなく、そこで ”語られている” 内容について考えるようになったのでした。

そんな時に図書館で上の本に出会いました。
この本で書かれていたのは、賢治が『銀河鉄道の夜』を何度も描き直しする中で、第一次稿・第二次稿・第三次稿の「初期形」で書かれながらも、「最終形」である第四次稿になる際に
 1.削られた内容と、削られた意味
 2.加えられた内容と、そこに書かれた内容の意味
から、賢治が『銀河鉄道の夜』で私たちに伝えたかった内容を推測するという内容でした。

本の内容は、宮沢賢治研究でよくある哲学的なものなので、ある程度賢治作品の研究本を読んでいないと、なかなか取っつきにくいものでしょう。私には要約するような技量はないので、目次から本の内容を紹介するに留めておきます。

 1 「知る」ことと「信じること」
 2 「午后の授業」の問い
   -では先生は知っているのか?ー
 3 『鹿踊りのはじまり』から
 4 ジョバンニとは誰か
   -少年の主題性についてー
 5 物語と科学のあいだで
   -星座とは何か-
 6 「銀河鉄道」の走るところ
   -境界、切符、地図をめぐって-
 7 プリオシン海岸
   -「違い」を説明する人-
 8 鳥を捕る人
 9 「銀河」の二重性
 10 リンゴと難破船
   -「天上の死」のイメージ-
 11 汽車はなぜ「高原」に登ったのか
 12 石炭袋-この少年期を越えるところ

 補講1 「セロの声」批判
 補講2 「ほんとうのさいわい」とは何か
 補講3 「初期形」と「最終形」との相違

「宮沢賢治の世界」2017年02月06日

新聞 デーリー東北紙の金曜版に連載されている、星好きんずのメンバーによる星の話し。

1月27日号は「流星群」がテーマ。

2月3日号では、「宮沢賢治の物語」がテーマ。

記事の中で、宮沢賢治の『双子の星』のチュンセ童子とポウセ童子の2星探しがなされています。
「ふたご」と聞くとふたご座の2星を連想しますが、この2星は日本で「金星・銀星」と呼ばれるように色鮮やかなのですが、『双子の星』には「小さな小さな2つの青い星」と記されていることから、これではないようです。

では、どの星かということで、『銀河鉄道の夜』の中に「双子のお星さまのお宮だ」という記述があり、そこはさそり座アンタレスの近くであるということから、双子の星はさそり座の中にあると推測するわけです。

そして、さそり座にある、肉眼で分かる二重星ということから、さそり座の毒針のところにあるλ星(sヤウラ)とυ星(レサト)ではないか、と言われているとまとめています。


この双子の星の同定は、故・草下秀明氏が『宮沢賢治研究叢書1 宮沢賢治と星』(學藝書林、1975)の中で提唱されたものでした。もっとも草下氏は、さそり座には他に「すもうとりぼし」と呼ばれるμ星の可能性も残しています。

これに対して、天体写真や多くの著書で知られる藤井旭氏はちょっと懐疑的で、『宮沢賢治 星の図誌』(藤井旭、平凡社、1988)では、賢治自身がどれが双子の星か書いていないこともあり、氏も不明のままとし、後の『賢治の見た星空』(藤井旭、作品社、2001)では草下氏の検証を紹介する一方で、さそり座には他にも肉眼で見分けられる二重星として「すもうとりぼし」の和名のあるμ星と、他にζ星もあるとして、その内のどれであろうとはしていません。

「その点、賢治の視力がかりに少し弱めだったとしても、草下さんの主張されるλ星とυ星のペアなら楽々見分けられ、「双子の星」としてぴったりなのかもしれない。」
と話しをまとめながらも、
「ところで、賢治の時代の天文書などでは、二重星のことを「双子星」などとよぶこともあった。
  (略)
 この”双子星”のよび名が気に入ってのことだったのかもしれない。」
と、双子の星はあくまで賢治の想像上の星ではないかとの考えを残しています。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を始め、多くの作品に登場する星が、実際の星空の中のどの星かという同定はよく行われますが、それよりも、賢治が作品を通じて何を伝えたかったかを読み解く方が、考えれば考えるほどに作品の深みが増して良いようにも思います。

久々の宮沢賢治を訪ねる旅(3)2015年11月30日

宮沢賢治を訪ねる旅、その3。

山猫軒で昼食を採ったあと、記念館入り口脇から斜面を下りて、イーハトーブ館へ。



木の枝の葉はすっかり落ちてましたが、花はいくつか咲いてました。この坂道を通るのは、花がもっと咲いている時期がイイです。


イーハトーブ館の売店は、関連グッズが増えたので売り場が広くなってました。図書コーナーにもいろんな新しい本が並んでます。



宮沢賢治と星については、故草加下英明氏の『宮沢賢治と星』(宮沢賢治研究叢書1、1989年新装)が貴重研究資料で、以前ココで売っていたのを買ったのですが、在庫が切れたのか、もう置いてませんでした。ということは、コレは稀少本か?



宮沢賢治記念館、山猫軒、イーハトーブ館の後は、宮沢賢治童話村。賢治が童話で描いた世界を現実に作り上げた村です。


「銀河ステーション」が入り口。中には不思議で幻想的なイラストが飾られていました。



大きく近代的な建物は「賢治の学校」。賢治が童話で描いた世界がアートとなって展示されています。


入り口まで誘導する格子状の小路。初めてココに来たときは気づかなかったのですが、二度目に来たときに、足元が銀河鉄道の通った天の川や星座であることに気づきました。

  はくちょう座

  さそり座

中はとても幻想的な部屋が。

  ファンタジックホール

大きな木があることは何度も見て知っていたのですが、今回一緒に行ってくれた方の指摘で、この木が、建物の白い壁にある木と同じ場所にあることに気づかせてもらいました。自分と違う視点って、おもしろいものです。

  テーマゾーン 「宇宙」

  テーマゾーン 「大地」

また、ログハウス展示施設「賢治の教室」も、おもしろいもの満載です。






花巻までの日帰り旅行。宮沢賢治のいろいろな展示を見てまわるには、時間があまりに少なかったです。機会があれば、一泊して見て回りたいものです。

久々の宮沢賢治を訪ねる旅(2)2015年11月29日

宮沢賢治を訪ねる旅、その2。

新花巻駅から宮沢賢治記念館へ行こうとしたところ、その間の線路が工事中。迂回は、西にしようか、東にしようか。とりあえず西に曲り、すぐにカーナビで地図を見ると、アラ、こちらは遠回り。すぐにUターンして東回りに。確かにこちらには、賢治記念館へのまわり道の案内がありました。

賢治記念館へ着くと、なつかしい門構えが歓迎してくれました。やぁ、久しぶり(^o^)

門から入ると、左側に『よだかの星』の石碑。変わらないなぁ。懐かしい。

入り口も、前に来たときと同じで、『猫の事務所』の猫たちが迎えてくれています。

ところが、館の中に入ると、ずいぶん変わってました!
以前は入り口入って左側に受け付けがあったのですが、今は左に賢治グッズの売店が。
受け付けは、展示室入り口の右側に。

展示室に入ると、おやまぁ、まるっきり世界が違っています!!
以前は、中央に「プラネタリウム」と呼ぶドーム型の展示があり、その周囲に、時計回りの順路の展示がありました。
ところが今は、中央には大型モニターでいろいろな映像を見せ、順路は反時計回り。

周囲の展示も、壁に約50cm四方のいろいろなコラムや写真などが、いくつかのジャンルに分けてありました。これだと断片的な情報しか読み取れないと思うのですが、初めて来た人には読みやすく分かりやすい展示だと思いました。


特別展は、以前は展示室から奥に入った別室でやっていましたが、今度は展示室からそのまま入れます。展示室の奥の壁を取り除いて入れるようにしたようです。
ちょうど今、『「銀河鉄道の夜」はどう生まれたか -草稿の謎に迫る-』。
賢治の原稿(のレプリカ)がケースの中に展示され、特別展の冊子は全ページが掲載されていました。


原稿に添えられた解説をじっくり読んでいる時間が無かったので、片隅で上映されているビデオを見てみました。ところが、思いもよらず、これがスゴイ! KAGAYAさんがCG映画(プラネタリウム番組)『銀河鉄道の夜』を作るにあたって調査したり、思い描いた銀河鉄道の世界を詳しく解説していました。このDVDが欲しかったぁ!

記念館の展示をざっと見て、お昼を、これまた賢治作品『注文の多い料理店』に由来する、隣の「山猫軒」で。


こちらも、入り口が以前と違う感じ。こんなに明るかったっけ?
中に入ったら、以前は無かった、賢治グッズの売店が! 大きく変わったみたい。

売店の奥に食堂の入り口。中に入ると、ずいぶんと明るい雰囲気。アレ? こんなんだったっけ?


窓が大きくなって、食堂の中が明るくなったようです。
以前の薄暗さも魅力的でしたが、明るい方が若い人や家族連れには入りやすいでしょう。

注文したのは、食べたことのない、鹿肉の入ったそば。薄切り肉でしたが、噛むと鹿肉の味が口に広がって、頬が落ちそうでした。おいしかった(^o^)

久々の宮沢賢治を訪ねる旅(1)2015年11月28日

北海道の星のソムリエさんが八戸へ来るとのこと。28日の早朝にフェリーで到着し、用事は夜。日中は時間が空いているそうで。運よく私も仕事が休みだったので、一緒にどこかへドライブの計画。いくつかプランを出した中で、まだ行ったことのない、岩手県花巻市の宮沢賢治関連施設を回ることに。

まずは岩手県立花巻農業高等学校。ここには賢治の家でもあった羅須地人協会の建物が移設されて保存されています。



今日は学校は休みですが、賢治さんの家にはいつでも入ることができます。
入り口は北側。入り口脇には、かの有名な「下ノ畑ニ居リマス」と書かれた黒板があります。この文字は、農業高校の生徒さんが毎週、下字をなぞってきれいにしているそうです。



家の中には、賢治さんが実際に使ったオルガンが置かれた教室があります。ここに近所の人たちを集めて、音楽鑑賞や演奏会や勉強会をしていたんでしょうね。


羅須地人協会の次は、新幹線駅の新花巻駅。駅前に『セロ弾きのゴーシュ』の石造などがあります。





今、花巻から石巻の間を、星でラッピングなどした蒸気機関車C58を使った「SL銀河」が走っているとのこと。
それもあってか、駅中に賢治関連グッズの売店がありました。以前もあったかな?



この後、宮沢賢治記念館と、宮沢賢治 童話村へ。

宮沢賢治『星めぐりの歌』 その22015年09月01日

宮澤賢治の『星めぐりの歌』は多くの歌手がカバーして、たくさんのCDに収められています。そんな中で、自分のお気に入りの曲を得るには、実際に買ってみるしかありません(^^;
数枚買ったCD中で、次の曲が私のお気に入りです。

このCDの中では、1曲目と10曲目が『星めぐりの歌』です。
1曲目はオカリナでのメロディ、10曲目は少年のアカペラ。どちらも心地よい曲です。
なおこのサイトでは、1曲目含め数曲を視聴することができます。


さて、賢治作詞作曲の「星めぐりの歌」の後半。
  アンドロメダの くもは
   さかなのくちの かたち。
この部分は、謎な部分です。

「アンドロメダのくも」という部分は、ひらがななので断定できませんが、「アンドロメダの雲」とすれが、アンドロメダ大星雲のことを指すと考えられます。
謎は、それが「魚の口の形」をしている、という部分です。

実は星座絵図コレクションの中に、アラビアの星座絵で、アンドロメダ座にかぶさるような大きな魚座が描かれたものがあります。

この図は、アラビアの天文学者アッ=スーフィーの星座絵集をベースに描き直したもののようです。
アッ=スーフィーの星座絵集には、アンドロメダ座が2種類収められています。アンドロメダだけのものと、巨大な魚がかぶさっているものです。

この図では、アンドロメダ大星雲が魚の口の位置にあたるのですが、賢治の時代にこのアラビアの星座絵が日本で紹介されたとは考えられません。

先の草下英明氏の『賢治文学と天体』の中では、次のように書いています。
 「アンドロメダのくもは、さかなのくちのかたち」というもの少しおかしい。
 賢治は他の作品中で琴座の環状星雲のことを、魚口星雲(フィッシュマウスネビュラ)と
 読んでいる(『シグナルとシグナレス』)が、アンドロメダ座の大星雲は、
 環状星雲とは全く性質の異なる渦巻状星雲である。或は、賢治は渦巻きの形も、
 リングの形の環状も一しょにして、魚の口を正面から見た形に見たのかもしれない。
しかしこれは推測で、根拠となるものがありません。

そんな中で、興味深い調査をしたブログを見つけました。以前にも紹介した「天文古玩」です。

筆者の調査によると、賢治の母校・盛岡高等農林学校の図書館の蔵書に『ロッキャー氏及びニューカム氏の星学初歩等(Elements of Astronomy,1878)』を訳した『洛氏天文学』(明治12年)があったといいます。その原著には、不規則星雲の項にこう書かれていたそうです。
 「One part of it 〔=オリオン星雲〕 appears, in a powerful
  telescope, startlingly like the head of a fish. On this account
  it has been termed the Fish-mouth Nebula.」
つまりフィッシュマウス星雲とは、オリオン大星雲のM42とM43の間の東側の部分を指していたようなんです。決してM57のことではなく!

そしてLockyer氏の上掲書では、p.49にオリオン大星雲の図があり、次のp.50の「不規則星雲」の項でフィッシュマウス星雲の記述があるのです。その文章のすぐ次に「リング及び楕円星雲」の項が始まり、そこにこと座のリング星雲と、アンドロメダ大星雲の図があります。アンドロメダ大星雲はなぜか、楕円のリングとして描かれています。
(これらの図は「天文古玩」のページに載っています)

そして、もしかしたら賢治はこの本を読んで、「フィッシュマウスネビュラ」は「こと座リング星雲」のことを指すと解釈したのかもしれないとのこと。


ところで、今ネットで「フィッシュマウス星雲」を検索しても、賢治の本での記載扱ったサイトしか見つかりません。私自身、こと座リング星雲の呼び名の一つに「フィッシュマウス星雲」があると、何かの本で読み知って、これまでの星空案内で何度も紹介していました。

今回の調査で、一応典拠として賢治の本を挙げられることが分かりましたが、実はそれは勘違いだったということは驚きでした。
 「この星雲のことを一般に”リング星雲”と言いますが、
  魚好きの人は”フィッシュマウス星雲”と、
  そして食いしんぼさんは”ドーナッツ星雲”と呼ぶようです。」
と話していたのは、誤りであった、ということです(T-T)

さらに「"fish" +"mouse" +"nemula"」で検索すると、その名を付けた日本のバンドの他に、天体の愛称としては全く引っかかりませんでした。欧米では知られていない呼称なのでしょう。残念です。

宮沢賢治『星めぐりの歌』 その12015年08月31日

29日の星のソムリエ講座のあとは、星仲間と星談話(^o^)
あれやこれやと、いろんな話が出てきます。

そんな中で特に話題になったのが、宮沢賢治の『星めぐりの歌』について。

『星めぐりの歌』については、故草下英明氏が、宮沢賢治研究叢書1『宮澤賢治と星』の中にある「賢治文学と星」の中で詳しく解説しています。
ちなみにこの本は、岩手県花巻市の宮沢賢治記念館の近くにあるイーハトーブ館の売店で買うことができます。

  あかいめだまの さそり
   ひろげた鷲の  つばさ
   あをいめだまの 小いぬ、
  ひかりのへびの とぐろ。

  オリオンは高く うたひ
   つゆとしもとを おとす、
  アンドロメダの くもは
   さかなのくちの かたち。

  大ぐまのあしを きたに
  五つのばした  ところ。
   小熊のひたいの うへは
   そらのめぐりの めあて。

賢治の童話『ふたごのほし』の中で歌われるこの歌には、賢治自身が作曲した楽譜も残されていて、実際に歌うことができます。そのため最近は、多くの歌手が歌っています。

天文界でもよく知られた曲ですが、話題にされるのはその内容。いろいろな星座が出てきますが、その内容が実際の星座と異なる、ということです。現在の星座の知識では理解できないものです。

草加氏は次のように書いています。
一行目の「あかいめだまのさそり」は、蠍座の心臓にあたる一等星アンタレスを蠍の目玉と見ているもの、これは賢治の別の作品にも何度も登場してくる。・・・
「ひかりのへびのとぐろ」は、蠍座の上に神医エスクラピウスの蛇使いの手に握られている蛇座であるが、別にとぐろを巻いている様子はない。
「オリオンは高くうたひ つゆとしもとをおとす」は、オリオン座の雄姿を見ていると、いかにもおおらかに行進曲でも歌いながら、夜空を進んでゆく印象であるが、星がつゆやしもを降らす、いささか前近代的な発想を述べているのが、少し気にかかる。童謡だから、といえばそれまでであるが……。

草加氏はオリオン座の下りを、ギリシャ神話の英雄のままの姿と見、また露と霜についてはその意味を読み取れないでいたようです。
賢治はいろんな知識を自由な発想で、そして特に「生きる知恵」として解釈していました。
賢治愛好家に(たぶん)よく知られた逸話があります。

賢治が学校の先生だった頃、数学の時間で「速度」を求める方法を教えていたときのこと。
生徒に「君の家は学校から○kmのところにあるね。ところで君は、家から学校に来るまで何分かかる?」と聞いたところ、その生徒はいいました。
「先生、オレ、わがんね。だって、天気のいい日と、雨の日で違うし、歩いている途中で便所に行きたくなるかもしれねし、誰か具合 悪くして休んでいるのを助けるかもしれねし。
こんな返事に対して、賢治先生は言いました。
「○○君は正しい。そうなんだ、学校へ何分で行くのかより、その道すがらをどう生きるかが大事なんだ。」(あいまいな記憶ですが、だいたい こんな感じの内容)
賢治の授業がだいたいこんな感じだったので、進学を考えている生徒は転校したそうです。

話がそれましたが、賢治はオリオン座を、ギリシャ神話が語る勇者としてではなく、星空の中で、他の星座たちと大合唱をする人物の一人として見ていたのではないでしょうか。

露と霜についてですが、昔の日本人は、星の光は地上に届くと水になる、と考えていたそうです。それが書かれた本が何であったか思い出せないので、出典を紹介できないのですが。

晴れた夜に星々から地上に降った水分は「夜露」になり、朝 太陽が昇ると暖かくなって上昇し、星空戻ると考えていたそうです。これを「星の露」といいます。
そこで、七夕の朝には、朝早くに畑の山芋の葉に貯まった「星の露」を集めて、それで墨をすって文字を書くと、その文字の内容は天に昇り、天帝や七夕の牽牛・織女のもとに届いて願いを叶えてくれる、と考えたわけです。

さて、地面に落ちた「星の露」は、冬は寒いため、上昇する際に凍ってしまい、それが「霜柱」になるとも考えていました。和歌や詩などでは「何年も経つ=幾つも冬を過ごす」という意味で「幾星霜」という言葉を使います。

この「星の露」という話を賢治は知っていたのでしょう。オリオン座の明るい星からはたくさんの「星の露」が降り、また「星霜」になると考え、それを歌っていたのですね。

つづく・・・