【星空案内Tips】中国で語られる物語 『天河配』2018年07月13日

星空案内人制度のメーリングリストに、【星空案内Tips】などと、星空案内に役立つかなと思う内容を、思いつくまましたためてます。
今回、七夕についていろいろ調べて文章にしたので、記録として。
【星空案内Tips】「七夕」ものがたり ~中国で語られる物語 『天河配』~

 七夕物語の元祖、中国においては、様々な物語が語られるにつれ、混合・改編が行われ、現在は『天河配』に淘汰されているそうです。そして毎年(陰暦の)七夕には京劇で演じられる人気の演目となっています。
 その物語の概要は『星空案内人になろう!』にも紹介されていますが、詳しい物語を探すのはたいへんなので、物語の全体を、やや抜粋する形で紹介します。

『天河配』

 女神である織女星と男神である牛郎星は、互いに愛し合っていました。しかし、これは天の掟では許されないことでした。織女は、天の王母の孫娘だったからです。

 王母は二人に対する懲らしめとして、織女には「天の雲を織る」ことを命じ、一方 牛郎は下界に送ってしまいました。天の布を織る仕事を命じられた織女は、季節毎に異なった色の空を織り出さなくてはなりません。しかし織女は、下界に言ってしまった牛郎を思って、毎日泣いてばかりでいました。王母が牛郎を天に戻してくれることだけをひたすら願っていたのです。

 下界では、牛郎は農夫に生まれ変わっていました。両親は早くに死んでしまい、その上兄は牛郎に辛くあたりました。そしてとうとう、老いた牡牛を一頭与えて、一人で生きていけと、牛郎を家から追い出してしまいました。

 この牡牛は、実は牡牛の星から来た神でした。あるとき、突然牡牛が牛郎に話しかけました。
「私はあなたを十数年見守ってきました。あなたからの恩に報いるためです。」 しかし牛郎は、突然話しかけてきた牡牛の言葉を信じません。そこで牡牛は言いました。
「明日の正午碧蓮池に行きなさい。そこで美しい人に会うでしょう。」

 その頃、悲しみに沈んでいた織女は、仙女の勧めを受けて下界に降り、碧蓮池で水浴びをすることにしました。

 翌日牛郎が牡牛を連れて碧蓮池へ行くと、牡牛は言いました。
「音楽が聞こえませんか。あれは七人の仙女が歌っているのです。そこへ行き、 木にかかっている赤い服を持ち去りなさい。そうすれば仙女のは飛べなくなり、彼女はあなたと結婚するでしょう。」

 牛郎は、牡牛に言われたとおりに、木にかかっている赤い衣を奪って逃げました。赤い羽衣は織女のものでした。驚いた仙女たちは天へ逃げ帰りましたが、羽衣を奪われた織女は牛郎を追いかけました。牛郎に追いついた織女は、その男こそ長い間会いたくてたまらなかった愛する人だと、すぐに分かりました。二人は結婚して、互いに愛し合い、幸せに暮らしました。やがて二人は、男の子と女の子を一人ずる授かりました。

 王母はしばらく織女の姿を見ないで、織女の世話をする仙女たちに事情を聴くと知らないと言うばかり。怪しんだ王母は織女が下界にいること知り、衛兵を送って織女を天に連れ戻しました。

 牛郎は、牡牛の助けを借りて、妻を追って天てと飛んでいきました。王母は、付けていた髪飾りで空を引っ掻いて広い天の川を作り、牛郎と織女を両岸に引き離してしまいました。

 愛する二人は、こうして天の川によって永遠に隔てられたのです。しかし王母は、二人が年に一度だけ七月七日に会うことを許しました。その日には、たくさんの鵲が天に飛び立って、二人のために天の川に橋を架けます。


 現在の中国で『天河配』の物語がこれ一つだけなのかは分かりませんが、この京劇の動画が字幕付き(もちろん中国語)でYouTubeにあります。これを見ると、今の中国での七夕の楽しみ方が感じられます。
  https://www.youtube.com/watch?v=sxGe103k0Mc

【星空案内Tips】「七夕」ものがたり ~日本に伝わる物語その2~2018年07月06日

星空案内人制度のメーリングリストに、【星空案内Tips】などと、星空案内に役立つかなと思う内容を、思いつくまましたためてます。
今回、七夕についていろいろ調べて文章にしたので、記録として。

【星空案内Tips】「七夕」ものがたり ~日本に伝わる物語その2~

『御伽草紙』の『天稚彦草子』

 あまり知られていないと思いますが、日本の古典『御伽草紙』の中に七夕物語があります。天稚彦(あめわかひこ)の物語です。この物語には星もいくつか登場するので、それもおもしろいです。

 三人の美しい娘をもった長者のところへ巨大な蛇がやってきて、娘を嫁にくれないとお前を食うと脅す。長者が娘たちに事情を話すと、長女と次女は拒んだが、末娘は承諾した。末娘が蛇に指定された場所で待つと大蛇がやってきて、自分の首を切り落とすよう言う。言われたとおりに娘が蛇の首を切ると、蛇は美しい男の姿になった。

 娘と男(天稚彦草子)は楽しい日々を送る。ある日男は「私は本当は海龍王で、空にも通じている。この度行くところがあって、数日空へ行ってくる。七日経っても心配するな。ふた七日(2週)かかるかもしれない。三七日(3週)はかからないと思う」と言い、「もしその時は、西の京にいる女が一夜杓(いちやひさご)を持っている。それを使って空へ登ってきなさい。そして天稚彦のいるところはどこか尋ねると良い」と言い、また「この唐櫃(からびつ、物入れ)を絶対に開けてはならない。これを開けると帰ってこないだろう。」とも言った。

天稚彦が空へ行った頃に、二人の姉が末娘の様子を見に来た。さぞ恐ろしい目にあっていると思ったら、裕福な楽しい日々を送っていたので妬ましく思い、いろんなところを開けて中を見た。しかし末娘が唐櫃を開けさせないので、くすぐって鍵を見つけて、唐櫃を開けてしまった。しかし中は空で、ただ煙が出ただけだった。そのため、約束の日が来ても、天稚彦は帰ってこなかった。

 三の七日経った後、末娘は西の女のところへ行き、一夜杓に乗って空に上った。天の登ると、白い狩衣を着た見栄えの良い男に会った。「天稚彦のいらっしゃるところはどこですか」と尋ねると「私は知りません。次に会った人に問いなさい」と言った。娘が「あなたはどなたですか」と聞くと、「夕づつ(宵の明星)」と言った。

 次にほうきが来たので同じように聞いたが「私は知らない。この後会う人に問え。私はほうき星だ。」と言って過ぎていった。また人に会ったので同じように聞くとこの人も同じように答え、「私はすばる星」と言って過ぎていった。娘が不安になっていると、立派な玉の輿に乗った人に出会ったので尋ねると、「これより奥に行くと、瑠璃の大地に宝玉の宮殿がある。そこへ行って天稚彦を
尋ねなさい。」と言った。(異伝によると、この人は明けの明星)

 言われた通りに宮殿に行くと、ようやく天稚彦に会うことができた。天稚彦も会いたいと思っていたと、互いに慰めあった。その後、天稚彦は言った。しかし心苦しいことに、天稚彦の父は鬼だったのでした。何日か経つと父がやって来た。「娑婆の(人の)臭いがする。」と言ったが、立ち去った。その後もたびたび父鬼がやって来、その度に天稚彦は娘をいろいろなものに変身させていたが、それに感づいた父鬼はある日足音を忍ばせてやって来た。その時天稚彦は昼寝をしていたので隠すことができず見つかってしまった。天稚彦はありのままに言ったが父鬼は娘を、自分の世話をするために連れて行くという。天稚彦は娘に自分の袖を与えて「何かあったら『天稚彦の袖』と言って振れ」と教えた。父鬼に連れられていった娘はいくつもの苦行を言われるが、天稚彦の袖で難なくこなした。

 これを見た父鬼は元のように住むことを許しました。その際「月に一度」と言ったものを娘が聞き違えて「年に一度と仰せられるのですか」と言ったので、父鬼は「そうだ、年に一度だ」として、瓜と投げつけた。瓜が割れるとそこから水があふれ出して天の川となって二人を隔てた。そうして二人は「七夕彦星」として年に一度、七月七日に会うのでした。

 長文になりましたが、当然ながら原文はもっと詳しく長いです。でもおもしろいですね。なんか、『ジャックと豆の木』やら、「ギリシャ神話」からいろんな話を持ち込んだような、寄せ集め感満載の物語ですが、これが鎌倉時代~江戸時代に書かれた本に載っているというのはとても興味深いです。

「天稚彦」の名は『古事記』や『日本書紀』にも出てきますが、単に同じ名前という感じです。

『天稚彦物語』は、男女の立場が逆ですが、
・男女が夫婦になった後、一方が天に戻る
・その人を追って、蔓のようなもので天に上る
・二人は天で再会するが、親に条件付きで年に一度だけ会うようになる
・「七日に一度」とか「月に一度」を「七月七日に」とか「年に一度」と
 聞き間違え(伝え間違え)、そのために年に一度、七月七日だけ会うようになる
という設定が他の七夕物語に見えます。

【星空案内Tips】「七夕」ものがたり ~日本に伝わる物語その1~2018年07月04日

星空案内人制度のメーリングリストに、【星空案内Tips】などと、星空案内に役立つかなと思う内容を、思いつくまましたためてます。
今回、七夕についていろいろ調べて文章にしたので、記録として。

【星空案内Tips】「七夕」ものがたり ~日本に伝わる物語その1~

 日本で語られる七夕物語はいくつかに分類されます。その中のおそらく一番知られているものは、中国に伝わる七夕物語の中で、最も古いものといえます。6世紀頃の中国南方の荊楚(けいそ)地方(長江中流域)の年中行事をまとめた『荊楚歳時記』に、次のように書かれているといいます

 天の河の東に織女がいる。彼女は天帝の娘である。毎年毎年、機織り仕事に精を出し、雲の錦による天衣を織り出していた。天帝は彼女が独り身であることを哀れんで、天の河の西の牽牛郎と結婚させてやった。お嫁にいってからは、彼女は機織りの仕事を全く止めてしまった。天帝はそうした彼女に腹を立てて叱り、天の河の東側に戻らせた。ただ毎年一度だけ、七月七日の夜に、天の河を渡って牽牛と会うのである。

 この物語では、結婚後に仕事をしなくなったのは織女だけだったようです。なおここでは、織女は「天の河の東に」、牽牛郎は「天の河の西に」いるとあります。研究者は「これは誤り」としていますが、私はこれを、天球の外から見たときの東西ではないかと思います。

 この文章は『中国神話研究ABC』(玄珠、1926)や『中国古代神話』(袁河、1957)などに引かれているそうですが、現在流通している『荊楚歳時記』には書かれていません。日本では東洋文庫が出版していますが、この文章はありません。

 ところで、この物語から派生したと思われる内容のものが1925年に鐘敬文教授が広東省陸安に伝わる物語として書いた「陸安伝説」があります。

  牛郎(牽牛)と織女とは、天上の一組の美しく賢い若者たちであった。
 彼らがまだ結婚をせぬ時には、二人とも一所懸命にそれぞれの仕事に精を出していた。
 牛郎は牛を飼い、織女は機を織ったのである。天帝は、二人のけなげな生活ぶりを見て、
 彼らを夫婦にしてやった。ところがどうしたことか、結婚したあと、二人は仲良く
 してばかりいて仕事はちっともしなくなった。やがてこうしたありさまが知れると、
 天帝はひどく立腹し、すぐさま命令を下し、鳥を彼らのところにさしむけ、
 今後、二人は河の両側にいて七日に一度だけ河を渡って会うことを許すと伝えさせた。
 鳥は、言葉がうまくしゃべれぬ鳥で、このとき天帝の命令を受けると、あわてて
 二人が一緒にいるとこをに飛んでいき、ちゃんと七日ごとに会うと言うべきところを
 間違って七月七日に一度だけ会うようにと伝えた。それからは、二人は年ごとに
 一度しか会えなくなった。名田端のお祭のあと、鳥の羽根は、みな抜けてつるつるに
 なってしまう。これま毎年のように見られる現象である。どうしたわけなのであろう。
 それは二人が、間違った命令をツタwらレ他ことに対してお返しをしているのである。

 この物語の前半が、こんにち日本でよく知られる内容に近いものです。しかし後半の鳥の羽根の部分は日本では語られていません。これは、この「鳥」の事情によるかもしれません。ここでいう「鳥」とは「カササギ」のことで、中国では街中でよく見られますが、日本では九州でしか見られません。日本では「カラス」に相当する鳥です。日本でも古くはカラスは天の神様の使いと見られていました。

私家訳版『ファイノメナ』が発売に2018年05月25日

以前 偶然に、古代ギリシャのアラートスが著した『ファイノメナ』を、ギリシャ語版から直接日本語に訳している方のサイトを見つけました。

それを印刷出版しても、これほどマニアックな本はそれほど売れる見込みもないというので、個人的にPDFデータで販売するとのことでした。5月に入って、18日に発売予定と発表がありました。HPによると、この方は病弱ということで予定がハッキリしないとのことだったので、販売開始のメールが来るのを待ちました。

話は逸れますが、手持ちの不要品をヤフオクに出品し、それがうまく売れ、その代金が、まずYahoo!マネーとして私のアカウントに入金されました。Yahoo!マネーだとYahoo!内の買い物に使えますが、買い物の予定は無いので、現金化できないかと調べたら、できることはできるんですが、口座への振込手数料がフツーにかかってしまいます。
そこで目についたのが、手数料の少ない、ネット銀行への振り込み。ヤフオクはこのネット銀行とも提携していて、落札した品の代金の支払いにも使えるということで、ネット銀行の口座を開設しました。

話は戻って、『ファイノメナ』の購入代金の支払いがネット銀行になっていました。2月のメールでは「手数料のかからない郵便口座があるとイイなぁ」と連絡し、先方からも「郵便口座を用意しておきます」と返事を頂いてました。

予定の5月18日を過ぎても販売開始のメールが来ないので(私も忘れてましたが)、思い出してHPを訪れたら、予定通り販売を開始したとのこと!

そこでメールを送って販売開始の確認を取り、すぐにネット銀行で代金の支払いをしました。すると、まもなくメールでPDFファイルとパスワードが送られてきました \(^_^)/


全部で5章に分かれた、膨大な量の本。確かにコレを印刷板で販売したら、内容からして2000円ぐらいはしそう。でも、マニア向けなので、ほとんど売れない・・・ 確かにPDFでの個人販売で成功だったと思います。

さて、iPadに入れて、じっくり読みますか。

おおぐま座伝説2018年05月07日

某MLへの投稿ネタとして調べ直した「おおぐま座ミステリー」がその後も気になってネットを調べていたところ、アラスカに伝わる熊の星座の物語を最初に掲載したであろう文献を見つけました。



アラスカの伝説では、熊にはNanukという名前があったんですね!




いやぁ~、Google Books のサービスはありがたいものです~!

おおぐま座ミステリー その22018年04月18日

ネットでいろいろ探っていたところ、古代ギリシャの星座の本『アラートスのファイノメナ(現象)』を、ギリシャ語から日本語に翻訳している方のことを知りました。今年の春にはPDFで販売するとのこと。

この翻訳を行っている方と連絡を取ったところ、Facebookで、とても興味深い内容のノートを公開していました。


おおぐま座・こぐま座と一緒に、その間をクネクネと曲がりくねったりゅう座が描かれた図があります。目にした記憶はあるのですが、そのレイアウトから、何かのイメージイラストかな、と思ってました。


ところがこの絵はイメージ図ではなく、紀元前64年頃に古代ローマで活躍した著作家ヒューギヌスの書いた『天文詩』の中に描かれたもので、これはアラートスの『ファイノメナ』の中で解説されているりゅう座を描いたものだったのでした。

アラートスの『ファイノメナ』では、おおぐま座は「ヘリケー」、こぐま座は「キュノスラ」と呼ばれています。これは、大神ゼウスが幼少の頃に育てたクレタ島のシンフで、ゼウスの父神クロノスがこの熊を襲ったときにゼウスが熊に姿を変えて星空に上げ、自分も竜の姿になって、この2頭の熊を守っている、という、おおぐま座こぐま座の物語の異伝がありました。

『ファイノメナ』のギリシャ語原文には、次の様に書かれているそうです。
(直訳のため、日本語にしたときに文章がやや変です)

  2頭の熊のあいだには、蛇行する川のように(星が)
  続いている。その大きさに驚く、りゅう座がある、弧を描くように、
  数え切れない(星々が続く)。また心配でもある、とぐろに巻きつかれたようで、
  2頭の熊たちは、オケアノスの種族が作ったモノのように。
  その龍が形をなす3筋の星の流れの一番下方の保護(尻尾)を解いて、
  そこでとぐろをたち切っている。この場所はまた、遠い
  尻尾に当たる、ヘリケーの頭からでは、この熊が停まる処から。
  とぐろはまた、キュノスラの頭付近にもある。とぐろは下方の
  そこから再び向きを変えている。だが其処にある星は
  それしかなく、また(龍の)頭の星sいか輝いていない、
  それで2星がコメカミにあり、2星は両眼を表す。これら4星の下方
  その最も遠いところにある恐ろしい怪物の顎(舌)がる。
  龍の頭は傾いてiる。心持ち傾いたように(龍の頭の)
  その先には、ヘリケーの尾がある。特に4星がまっすぐに
  口と、そしてコメカミに続き、右側に(ヘリケーの)尾がある。
  頭部の辺りの星々、これら遠く離れた付近が
  日没後で地上と交わり、そして直ぐに昇る。

この巨大なりゅう座については、古代ギリシャでも反論があったようで、古代ギリシャの天文学者ヒッパルコス自身「ファイノメナの記述は間違いである」として、別の小さいりゅう座を記し、それがプトレマイオスの『アルマゲスト』に掲載されたことで現代の星座となったわけです。

ギリシャ神話には、古代ギリシャの時代においてすら、語り手によって様々な物語があります。それでも、こんな巨大な星座を思い描いていた人がいたのかと思うと、そんな星座を自分の目で確かめてみたいと思います。

おおぐま座ミステリー その12018年04月15日

某MLにて【星空案内Tips】として投稿している話題で今回、おおぐま座にまつわるミステリーを取り上げました。それは、古代の北欧やシベリア地方と、全く離れたアラスカ地方で、同じ星域を熊の星座と見たり、似たような物語が伝えられている、という謎。

この話は、私が星を好きになった後の星座学習のバイブル、『星座ガイドブック 春夏編』(藤井旭、誠文堂新光社)。この中でおおぐま座になるわる物語として、ギリシャ神話のカリストの物語と、北アメリカのインディアンに伝わる熊の物語が紹介され、そして次の様に書かれています。
  ところで、たいへんおもしろいことに、
  おおぐま座の北斗七星を熊と見る民族は
  一つだけではないのです。北アメリカのインディアンやシベリアに住むモン
  ゴル人など みな おたがいに遠く離れて無関係だと思われるのに、ちゃんと
  これを、みな北の空をのろのろまわる おおぐまの姿だと見ていたのです。
  そこで、これはきっと寒い海をこえ 冒険的な航海をした大昔の船乗りた
  ちが、ギリシャ依頼の神話を方々に伝え歩いたものの名残ではないだろ
  うか、という人もいるほどです。


この解説は私の記憶の中に確実に印象深く残り続け、その後に星座の物語の本を読むだびに何度も呼び起こされました。

現在では、この同一視は、遙か昔、1万5000前以上前の旧石器時代にまで遡り、北斗七星を熊の星座と見る人々が北欧や中央アジアを移動し、シベリア東部からアラスカに、そしてカナダ方面で移動したためではないか、と考えられています。

どうして1万5000年以上前かというと、中央アフリカで誕生したホモ・サピエンスが「出アフリカ」した後、中央アジアを経て西へ東へ移動して、シベリアからアラスカで移動したと考えられるのですが、現在シベリアとアラスカの間にはベーリング海峡があって渡ることができません。
しかし最終氷期の後期、1万8000年~1万5000年の頃には海面が下がってベーリング海峡が陸続き(「ベーリンジア」「ベーリング陸橋」)になっていました。これを人類は渡ってアラスカへ移動し、アメリカ大陸へ広がった、と考えられているためです。

  Y遺伝子から判明した人類の移動

この仮説が正しいとすると、星空の中に絵姿を想像する、つまり星座を作るという行為が、はるか昔、旧石器時代まで遡る、ということになります。これはとても興味深いことです。

シリウス・ミステリー2018年03月04日

NHK BSで放送されている『コズミックフロント NEXT』の2018年2月8日の放送が「天狼星 シリウスのミステリー」というタイトルでした。内容は、いわゆる「シリウス・ミステリー」の概要と、最新天文学での検証。久しぶりに目にしたので、改めてミステリーの内容を確認し、また番組で紹介した最新天文学での検証内容を自分でも確認してみました。


★ミステリーその1 シリウスの固有運動のふらつき

1844年、ドイツの天文学者ウィリアム・ベッセルは、シリウスの固有運動にふらつきがあることを発見しました。そこでシリウスには未発見の伴星があると考えられました。


1860年、アメリカの望遠鏡制作者アルヴァン・グラハム・クラークは父と共に、当時アメリカ最大の直径47cmの反射鏡を作り、これを使った望遠鏡でさまざまな1等星に向けて像を確認していたところ、1864年に望遠鏡を向けたシリウスだけすぐそばに小さな光点が見えることに気付きました。クラークは望遠鏡を何度も確認し、これはシリウスの未発見の伴星であると結論付けました。
この星はシリウスBと呼ばれるようになりました。

シリウスBを観測し、シリウスの運動のふらつきから想定される質量の星にしては暗いことが謎となりましたが、1915年にシリウスBのスペクトルがようやく観測されて、1万度近い高温の天体であるにもかかわらず表面積の小さい天体であることが分かり、これが白色矮星であることが判明しました。

  The Sirius System から。共通重心を回るシリウスAとシリウスB。

  The Orbit of Sirius A and B から。シリウスAを中心としたシリウスBの位置。

このことからシリウスは、太陽質量の5倍ほどのシリウスBと連星を成していたが、約1億2000万年ほど前にシリウスBが寿命を迎えて赤色巨星となり、やがて白色矮星となったと、恒星進化論から考えられます。


★ミステリーその2 アフリカ ドゴン族の先祖はシリウス星人?

1931年、フランスの人類学者マイセル・グリオールらはアフリカの西部、マリ共和国に住む原住民族であるドゴン族を研究するため現地に赴きました。ドゴン族はこれまで文明社会とほとんど接触することがなく、古い伝統的な生活を営んでいたためでした。


グリオールらはドゴン族と一緒に生活をして信用を得、15年後の1946年に長老から、一族に伝わる伝承を聞き出すことに成功しました。その内容は以下。
  宇宙を創られた神アンマは、全ての星の中で最初に”ポ・トロ”を造り、そのそばに
  最も明るい”シギトロ”を造った。ポ・トロは重要な星で、人の眼では見えない。
  ポ・トロの周回軌道は楕円で、母なる星はその焦点の一方に位置する。
  シギトロの周りをポ・トロより4倍軽く軌道も大きいエンメ・ヤが回っている。
  エニャ・メの周りをニャン・トロが回っている。ニャン・トロにはノンモが住んでいる。
  ノンモは地球を訪れ、ドゴン族やほかの人類に文明を与えた。

長老はシリウスを指して、あれがシギトロだと言ったといいます。このことから、シギトロ=シリウス、ポ・トロ=シリウスBということになるといいます。


またドゴン族の天文知識はそれだけではありませんでした。
木星には4つの衛星が、土星には環があることを知っていたということです。

  ドゴン族が描いた木星と4つの衛星(左)、土星の環(右)

このような知識はノンモから与えられたということです。
  遠い昔に神アンマはノンモを造り、ノンモに似せて人間を造った。
  ノンモは人間の祖先と共に方舟に乗って空から大地に降りてきた。

つまり、空飛ぶ円盤のようなものでシリウス星系のニャン・トロからやってきたノンモが連れてきた人間がドゴン族の祖先だと。そしてノンモは半魚人のような姿をしているが、人間のような姿にもなれるといいます。

  ドゴン族が描いたノンモ( Dogon より)

この伝承については、シリウス星系については最新天文学と同じ内容を示しながらも、木星の衛星を4つしか知らなかったり、土星には環があるといった、天文知識としては一般的な情報になっている偏りがあります。

シリウスBについては、1927年にイギリスの物理学者エディントンが著した『物質界の性質』に分かりやすく解説してあり、その時代の大きな話題であったことでしょう。
またドゴン族の住むマリは1920年からフランスの植民地でした。
このことから、グリオールの前にこれらの断片的な天文知識を持ったフランス人と接触があり、彼等に聴いた話を自らの伝承とした、民俗学で言うところの ”文化の再解釈” が行われた結果ではないか、というのが研究者の見解です。

この見解では、長老が描いたとされるシギトロとポ・トロの軌道が、共通重心を回るものではなく、地球から見たときの傾いた楕円軌道に一致していることも説明がつきます。

ところで先祖が半魚人だったという話は、メソポタミアのシュメール人も同じで、”オアンネス”という半人半魚が毎朝海から現れて、シュメール人たちに高度な知識を与えたと言われています。

  シュメール人の神官の姿。オアンネスを真似て魚の皮を被っている。
  ( Dogon より)

これは、やはり大昔に半人半魚に見える宇宙人がやってきたのか?
それとも、これも ”文化の再解釈” でコピられたものなのでしょうか?


★ミステリーその3 シリウスは昔は赤かった?

紀元2世紀の古代ローマの学者プトレマイオスは著書アルマゲストの中にシリウスを、ベテルギウス、アンタレス、アルデバラン、アルクトゥルスと共に「犬の星と呼ばれ 赤い」と書いています。

また、紀元前後の古代ローマの哲学者・詩人のセネカも、シリウスは火星よりも赤いと記しているといいます。

確かにシリウスは、伴星シリウスBが赤色巨星となって赤く見えていた時期がありますが、それは恒星進化論では1億2000万年前とされています。この理論が誤りで、恒星の進化が数千年で起こることは、まずありません。そこで様々な説が出されました。


地球とシリウスの間を小さな星間ガスが通過して一時期赤く見えたとの説がありますが、最新の観測でもシリウスの近くに星間ガスは見つかっていません。
シリウスの周りを回る赤いシリウスCがあって、それが楕円軌道でシリウスに接近した時にその赤いガスがシリウス本星に降り注いだとの説もありますが、これも最新の観測から、シリウスCは見つかっていません。

ところが、1996年に日本の櫻井幸夫さんがいて座に発見した「進みの遅い新星の可能性のある天体 possible "'slow' nova」を発見したことで状況は一変します。
この「桜井天体」と呼ばれるようになった現象は、白色矮星になったばかりの天体が「最後のヘリウムフラッシュ」を起こして、一時的に赤色巨星となって輝いたものでした。

  桜井天体の想像図(SciTechDaily 2014/4/3 より)

  赤色巨星 再燃(Astronomy 2005/4 より)

  星の変化にはとても長い時間が必要だ、というのが天文学での常識でした。
  わずか数ヶ月で星の色が変わるのを見て、本当に驚きました。
    イギリスの天文学者 ドン・ポラコ教授の言葉

  当時、人間の時間スケールで星が変化すると考える人はごく僅かでした・・・
  でも「桜井天体」がその流れを変えてくれました。
  星は思っていたより速く変化することがあり得るのです。
    ドイツの物理学者 ウォルフハード・シュロッサー教授の言葉
                              (コズミックフトントNEXTより)

赤いシリウスが「最後のヘリウムフラッシュ」であったとはまだ断定されておらず、天文学者はハッブル宇宙望遠鏡の後継として打ち上げられるウェッブ宇宙望遠鏡を使ってシリウスCを探そうとしています。シリウスのミステリーを巡る研究は、まだまだ熱いです。

浦島太郎(without 星)2018年02月11日

浦島太郎の物語の大元、『丹後之国風土記』の物語の中にスバル(プレアデス星団)とアメフリ(ヒアデス星団)が出てくるという話は、ずいぶん前の日記にまとめていました。
  浦島太郎と星 その1(2014年11月6日

浦島太郎の物語そのものについても当時いろいろな本を読んで様々な解釈を見知ってはいたのですが、星に関しての情報は先の日記に書いてあるものが全て。

今作成している文書の中で扱った関係で文書を取り出したところ、フト気になった。星には関係の無いことですが、この大元の物語が、どういう経緯でこんにちの『おとぎものがたり』の浦島太郎の話に変わったのか。

『丹後国風土記』に書かれていた浦の嶼子の物語の始めは、およそ次の通り。
  嶼子(島子)が一人船で海に出るが、3日間魚は釣れず、五色の亀が取れる。
  船で寝入る間に亀は美女の姿に変わっている。
  いきなり現れた女性の素性を訪ねると、「天上の仙(ひじり)の家」の者だとの返答。
  島子と語らいたくなってやって来たという。
  舟を漕いで女性の住む「蓬山」を訪れるが、海上の島であった。
  門に立つと、7人の童子、ついで8人の童子に「亀比売(かめひめ)の夫がいらした」と
  出迎えられるが、これらは昴七星と畢星の星団であった。
  浦島は饗宴を受け、女性と男女の契りを交わす。
   wikipedia「浦島太郎」 より

これが、室町時代に成立して、江戸時代に出版された『御伽草子』の中の1話となって、庶民の間に広がりました。その物語の始めはおよそ次の通り。
  丹後の国に浦島という者がおり、その息子で、浦島太郎という、
  年の頃24、5の男がいた。太郎は漁師をして両親を養っていたが、
  ある日「ゑじまが磯」というところで亀を釣りあげ、
  「亀は万年と言うのにここで殺してしまうのはかわいそうだ。恩を忘れるなよ」と
  逃がしてやった。数日後、一人の女人が舟で浜に辿り着き、漂着したと称して、
  なんとか本国に連れ帰してくれと請願する。実はこれは逃がしてもらった
  亀の化身であった。二人が舟で龍宮城に到着すると、女性は太郎と夫婦に
  なろうと言い出す。

ここですでに話がずいぶんと変わっていました。

『丹後国風土記』では、奈良時代の慣習と違って、女性の方から求婚を申し出るという、珍しい物語。これも彼女が蓬莱に住む神仙ゆえか?

これが室町時代の物語では、浦島太郎は無用に釣り上げた亀に「鶴は千年、亀は万年というから、ここでは助けてやる。恩を忘れるな。」と恩着せがましく言い放ち、はたまた女人の方は「すべて前世からの縁。私と夫婦の契りをしてください。」と申し出る。後に女人は浦島太郎が家に戻りたいと言ったときに正体を明かします。自分はあの時の亀だと。って、本性が亀になっているぅ!
ちなみに、浦島太郎が行った場所は『御伽草子』では「竜宮城」に変わっていました。

『御伽草子』などの物語を、明治始めの童話作家 巌谷小波 が書き改めた『日本昔噺』の物語をベースに、国定教科書の載せるべく生徒用に手を加えて短くしたものが、現代に知られる『浦島太郎の物語』になった、というワケです。

国定教科書版は、太郎は海辺で子供達が亀をいじめているのを見て助ける、という、例の噺です。



元々の物語が、3段階の変更で、ずいぶんと変わったものです。大きく変わって困ってしまうのは、太郎の行った場所が、蓬莱(天上)から、竜宮城(地上)の変り、さらに海底になってしまったこと、かな。

ベツレヘムの星の物語2018年01月09日

先日図書館で星に関連した本を物色中に、故草下英明さんの『星の神話伝説集』を見つけました。


文元社によるもので、2004年の発行でした。定価は3000円!
タイトルに見覚えがあるなぁと帰宅後に書棚から探すと、あったあった、教養文庫で500円で出てました(^o^)


久々に中を見ると、ベツレヘムの星の物語の中の一節が目に留まりました。
 一方、マギたちはあちこちと尋ね歩き、イェルサレムから二〇キロほと南の、
 ベツレヘムという村にたどりついた。村はずれの井戸で、マギが水を飲もうとして
 のぞきこむと、なんと昼間だというのに、ポッツリと井戸の水に星がうつっているでは
 ないですか。
   (略)
 この井戸は、今でも「マギの井戸」と呼ばれて名所になっている。

この話は新約聖書のマタイによる福音書には書かれておらず、誰かの創作なのですが、はて、「マギの井戸」って?

「マギの井戸」をググると、「アンタレス研究所」のサイトの中の「ベツレヘムの星」のページが見つかり、野尻抱影氏の『星と伝説』他にあるとありましたが、その本には記載がありませんでした。

英語でググると、”Magi's well(マギの井戸)” と呼ばれる井戸の写真が見つかりました。しかし解説はありませんでした。

  Well of the Magi on way to Bethlehem (LIBRARY OF CONGRESS

英語サイトもいくつか探しましたが、「マギの井戸」の出てくるページは見つからず。
いったい草下さんは、どんな文献から上のような物語を見つけたのだろう?