一週間の始まり2018年06月14日

TV番組で、気になる発言がありました。
次の日曜(6月17日)は「父の日」なのですが、「今週 日曜は父の日」と!


アレ? 一週間って、日曜から始まるんだなかったっけ?
ただ、日本では多くの人の仕事勤務の関係で、月曜始まりのカレンダーが便利だとか。

気になったので、ググってみました。すると、驚きの真実がぁ!!
日本での週は、JIS規格(JIS X 0301)によって、月曜始まりだったのでしたぁ!!
あと、国際規格(ISO 8601)でも、月曜が週の始まりと決められていました。

星空の文化ではよく知られている(?)ように、一週間の起源は次のようなもの。

まず、古代バビロニアで、1日を24時間に区切った。そしてそれぞれの時間が、7惑星(日・月・5惑星)に支配されると考えた。そして当時の宇宙論で考えられた遠い天体から順に、それぞれの時間に割り振った。そして、1日の最初の1時間にあたる惑星は、その日も司ると考えた。
この方法を行うと、次のような順になります。
  土星・太陽・月・火星・水星・木星・金星

ユダヤ教では、土曜を週の始まりとしていました。
キリスト教では、太陽を主神を見なして、日曜を週の始まりとしました。

そして jp.wikipedia によると、カレンダーの実体としては、アメリカなど多くの国では日曜始まりとし、フランスでは月曜始まり、そしてイスラム圏では金曜を公休日としているため、土曜始まりとしているそうです。

日本では、明治の初めに欧米から文化を取り入れたので、当然カレンダーは日曜始まりでした。

高校時代にBASIC言語でプログラミングを学んだとき、任意の日付の週を得るには、
 週番号=MOD((DAY - 基準日),7)  : MODは余りを求める関数
で、得られた週番号から、0=日、1=月、2=火、3=水、4=木、5=金、6=土 と教わりました。この説明でも、週の始まりは日曜としていたワケです。

ところが国際標準規格 ISO 8601 では、週番号を1~7としているため、月曜が週始まりになります。

どの日を週の始まりとするかは、慣習によりけりなところもありますが、国際標準(そして日本標準)があったことは、ある意味 驚きでした。

『日本の星名事典』届く2018年05月27日

日本に伝わる星の名前は、昭和の初めの頃に数名の天文家が採集し、本にまとめました。中でも野尻抱影氏は著書も多く、その業績が今でもよく知られています。その成果は『星の方言集 日本の星』(中央公論社、1973)や、『日本星名事典』(東京堂出版、1973)にまとめられています。その後、これに匹敵するような本が出なかったため、永くに渡って利用されてきました。


それがこのたび、生活の中の星をテーマに星の和名を採集してきた北男浩一さんが、その成果を『日本の星名事典』として出版されました。

  『日本の星名辞典』チラシ (クリックで拡大)


日本では昭和中期のTVの普及で用語や文化の均質化が進み、星の名の方言である和名が忘れ去れてていきました。そのため北尾さんは主に、全国各地の漁師町の古老を訪ね歩いて、様々な星の和名を採集してきました。

また、北尾さんは野尻さんに星の和名を伝えた存命の本人に内容を確認し歩き、野尻さんの本の誤りを正すことまで行いました。これは本当に貴重なことです。ただ、これを行うことは北尾さん自身にとって、とても勇気の要ることだったと思います。

また、野尻さんの採集した和名が誤って伝わり広まってしまっているものを、改めて「それは誤りである」と正すのも勇気の要ることです。
その代表例が、おとめ座スピカ=真珠星でしょう。野尻さんが聞いたのは「しんじぼし」で、時期や方向はおとめ座の方向ではないものを、野尻さんがおとめ座スピカに与えた、ということです。この「野尻さんの命名」は野尻さんの本にもちゃんと書かれているのですが、それを読まない人たちが本を孫引きしていくうちに「日本では古くからスピカを真珠星と呼んでいる」と書く人が出たりしていました。

北尾さんは、星の和名採集記録を、ホームページ『星の民俗館』でも紹介していました。


このように北尾さんは、人々の生活現場で語られた星の伝承をテーマとしていて、本のタイトルもご本人は『日本の星名伝承事典』としたかったそうです。特に伝承」は入れたいと。
しかし出版社からは、それでは売れないと、『日本の星名事典』に決められたといいます。

それにしても、東亜天文学会会誌『天界』に連載したり、地方出版で数冊発行していたものなどの、さらなる集大成として、15年という期間をかけて発刊された本。
(もちろん、執筆に15年かかったワケではなく、氏は癌にかかったため入院したり)

ヒトはその人生をかけてさまざまな活動をしているでしょうが、その記録を集大成として残すというのは、とてもたいへんで、また貴重なものです。

二十六夜待ち2018年03月16日

星の手帖の『二十六夜現象』関連でネットを調べると、岩手県以外にも二十六夜尊を祀る地域がありました。

「江戸散策」 第42回 月見いろいろ、十五夜、十三夜、二十六夜待ち


このページでは、陰暦八月の十五夜、九月の十三夜、そして陰暦七月の二十六夜待ちが紹介されています。二十六夜待ちでは、昇ってきた逆三日月が阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊に見えるとしています。この三尊は、江戸庶民の間で人気の菩薩でした。

気になったのですが、江戸では二十三夜講は一般的ではなかったのかな?

次に見つけたのは、茨城県にある浄土宗派の常福寺のページ。「二十六夜尊大祭」が陰暦の九月二十六日に行われているそうです。



常福寺の「二十六尊大祭」の起源は室町時代に遡ります。
当時の常陸国の瓜連にある常福寺の了実について出家した聖冏(しょうげい)。額に三日月の傷跡があったので三日月上人とも呼ばれたそうです。その聖冏上人が示寂(じじゃく、菩薩や有徳の僧の死)したのが応永二十七年(1420年)九月二十七日。そこで上人への報恩の大法要を行う祭礼を「二十六夜さん」と称して行ったそうです。

こちらは、その由来もハッキリしているので、盛岡の二十六夜待ちとは関係無いようです。なので、気になるのは江戸の「二十六夜待ち」かな?

星の手帖 『二十六夜現象』2018年03月10日

星の手帖 Vol.25(1984年夏号)に掲載された『二十六夜現象』の内容。

大正末期の初秋、陰暦の7月26日に、「二十六夜尊」という行事があるそうです。「二十六夜尊さん」とか「三体さま」とも呼ばれると。

旧南部藩の居城 不来方(こずかた)城址(現在は岩手公園)に多くの人が集まって、東の空に仏を迎えるならわしがあった。三体とは仏教でいう阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊。この信仰に熱心な二十六夜講まで組織されたそうです(「講」とは集会のこと)。

以下、筆者が目撃した『二十六夜現象』の様子。

   待つこと数十分、突然東の空が白みだした。それから
  数分もたっていなかったろう、山の端に黄色い下弦の月
  が姿を出し、両端を鋭く闇に突き刺すようにぽっかりと
  浮いた。月齢26とはいえ、すでに27日の払暁に近く、三
  日月の半分ぐらいまで細まった月はまるで新月のようで
  もある。山の端にかかった情景はいつもの月の出と変わ
  りない。
   だがその数秒あとのことだ。この黄色い月はスル、ス
  ル、スルッと上空に昇っていって、中天に静止したかと
  思ったら、こんどは3つの光に分かれた。ちょうどバナ
  ナを3等分したような形である。しばらくして、こんど
  はまたそのバナナの真ん中のやや太い部分がさらに上層
  へ昇って停止したかとみるや、まるでるつぼの中で鉛を
  溶かすかのようにゆらゆら揺れて、その光のかたまりは
  仏体に変身した。次いで左の鋭くとがった部分も同じよ
  うに昇天して小さな仏像となり、続いて右のバナナの端
  も同じ位置まで昇って形をかえた。まさに寺院の須弥壇
  にある仏像を中空に見た思いである。金色の仏はいずれ
  も座像で、世にいう三体仏の出現なのだ。

  『二十六夜現象』での挿絵。
  盛岡市図書館にある大正10年代におの市街写真に
  二十六夜の現象のイラストを合成。

著者が古老に聴いたところでは、この現象は10年に一度見られれば良いという珍しいものだったらしいです。そのような珍しい現象を著者が克明に目撃したのは驚きです。今でも見ることができるのでしょうか。

月の大小の覚え方2017年10月21日

今夜は、星のソムリエ講座@八戸の『星空案内の実際』。いろいろあったけど、なんとか今年度も講座が終了しました。

先々週(10月7日)は、『星空の文化に親しむ』で私が講師を務めました。今回はレポートは配布テキスト任せにして、いろんな話で暴走しました(^o^)

暦の話の時に、驚きの事実が!
今どきの若い人は、今の暦の ”小の月” の覚え方、「にしむくサムライ」を知らないんですね!
年のいった受講生さんたちは、ウンウンとうなずいていますが、若い人は「何、ソレ?」状態。
今どきの人にとって、暦日はカレンダーやスマホで見る ”デジタル” なんだな、と思いました。

仕事中にそれを思い出して職場の人に知っているか聞いたところ、誰も知りません!!
それをFacebookに書いたところ、FB友人も知りませんでした!!!
あぁ、コレを知っているかどうかは、世代・年代ではなく、環境だったのですね。

  伊勢暦に見入る女性 (国立国会図書館、日本の暦から)

人類が最初に作ったであろう、月の満ち欠けの周期に依った ”太陰暦” は、月の満ち欠けがおよそ29.5日周期なので、29日の月と30日の月を交互に置くことで、暦日と月齢をほぼ一致させることができました。

それがやがて、暦日を季節変化にもおおよそ合せるために、何年かに一度ひと月を増やす ”太陰太陽暦” が作られ、それが日本でも長きに渡って使われました。

日本人は実にことば遊びが好きな民族で、江戸時代に暦が印刷されて庶民の手に入るようになると、毎年の大小の月を覚える方法を生み出しました。それが言葉遊びであったり、一年の暦の大小を絵で表した ”大小暦” であったり。

  慶應3年(1867)の大小暦 (国立国会図書館、日本の暦から)

上の、うさぎの餅つきの大小暦では、臼に大の月、うさぎに小の月が隠れ文字になっています。
  大の月:  2 , 4 , 8 , 10 , 11 , 12
  小の月:  1 , 3 , 5 , 6 , 7 , 9



  文久2年(1862)の大小暦 (国立国会図書館、日本の暦から)

これなどはとても分かりやすい。着物に各月の大小がそのまま描かれています。
8月が ”大” と ”小” が重なっていることから、閏八月があることが分ります。

  大の月:  1 , 3 , 4 , 6 , 8 , 9 , 11
  小の月:  2 , 5 , 7 , 閏8 , 10 ,12


国会図書館のサイトには、他にも様々な大小暦が置かれています。初級編、中級編、上級編とあって、とても楽しいです。

大小暦の他にも、覚え唄も作られました。

「大庭を しろくはく霜 師走哉」(元禄10年)
  「大庭」は大と 二、「しろくはく霜」は 四、六、八、九、霜月、そして師走
  つまり、この年の大の月は、二、 四、六、八、九、十一、十二

「大小と じゅんにかぞえて ぼんおどり」(寛政13年)
  この年はたまたま大の月と小の月が交互になった。
  大の月は、正月、三、五、七、
  そして「ぼんおどり」でお盆の七月が「おどり」繰り返して、つまり閏七月があるとして、
  その後は八、十、十二月が大の月。

「大好は 雑煮 草餅 柏餅 盆のぼた餅 亥の子 寒餅」(宝暦13年)
  この年は大の月が 正月、三、五、七、十、十二 だった。
  そこで「大好き」(大月)を餅づくしで覚えさせようとした。
  雑煮(正月)、草餅(三月)、柏餅(五月)、
  盆のぼた餅(七月)、亥の子餅(十月)、寒餅(十二月)

このように江戸っ子は何でもかんでも遊びにしてしまう、遊びの達人だったのですね。

そんな楽しい伝統の流れを組む、現代の 小の月 の覚え方
  「にしむくサムライ」
  二、四、六、九、十一(士)
も、後世に残し伝えたいものです。

『鈴木杏樹のいってらっしゃい』2017年10月17日

またまたラジオ番組の話。
こちらも毎朝楽しみにしている、ニッポン放送の『鈴木杏樹のいってらっしゃい』。RAB放送では7:45から放送されます。5分間の情報番組。


鈴木杏樹さんの、ゆっくりと落ち着いた読みはとても心地よく、朝の急いだ気持ちを落ち着けてくれる感じもします。もっとも私はこの時間はラジオを聴けないので、毎回録音で聴いてますが。
放送後には、台本部分が文字興しされてHPに載るので、情報は読み返すことができtれ便利です。

週替わりでテーマがあるのですが、10月9日~13日は
 『花』や『月』、『風』といった『自然を表す漢字が付いた言葉』
について。
日本は四季の季節変化の様が美しい言葉で表されています。その中から『月』についてを転載。


『月の雫(しずく)』
 『露』のことです。また古代の時代から『真珠』のことを『月の雫』とも呼んでいるそうです。
 
『月の鏡』
 月を映す池の水を、鏡に例えた言葉です。この意味で使われる場合、季語は『冬』になります。
 他にも"明るく照らされる月"を、鏡に例えた言葉でもあります。
 
『月の霜』
 月の光(月光)がさえ渡って地上を白く照らすのを、霜に例えた言葉です。
    
『月に磨く』
 月の光を浴びて、景色がより一層に美しく見える様子を表した言葉です。
 
『月映え(つきばえ)』
 "月の光に照らされて、美しく映えること"です。
 
『月の剣(つるぎ)』
 『三日月』のことです。『三日月』の形が『剣』に似ていることに由来しています。
 三日月はその形から『剣』の他に『弓』、『鎌』、『舟』、『櫛(くし)』などに例えられています。
 
『三日月』の呼び方には他にもありまして、例えば『眉月(びげつ)』。
"眉(まゆ)のような形をした月=三日月"となります。『眉月(まゆづき)』とも読みます。
 
『月虹(げっこう)』
 月の光によって出来る、白い色の虹のことです。光が弱いので、白く見えるそうです。
 『ルナ・レインボー』という呼び方もあるそうです。
    
『海月(かいげつ)』
 "海の上の空に出る月"、"海面に映っている月の影"のことです。
 
『鏡花水月(きょうかすいげつ)』
 鏡に映った花や、水に映った月のように、
 "目に見えていながら、手に取ることが出来ないもの"を言います。
 さらに"言葉では表現出来ないので、心で感知するしかない物事"も『鏡花水月』と言うそうです。
 
『月下氷人(げっかひょうじん)』
 『男女の仲をとりもつ人』、いわゆる『仲人』や『媒酌人』のことです。
 『月下』とは『月下老人(げっかろうじん)』の略で"縁結びの神様"のことです。
 『氷人』とは唐の時代の中国で、ある人が氷の上で、氷の下にいる人と話をする夢を見ました。
 その夢について占ってもらうと"結婚の手助けをする前触れだろう"と言われ、
 のちにその通りになった・・という言い伝えから『仲人』を意味する言葉です。


『月』にまつわる言葉は他にもたくさんあることでしょう。その多くが平安の昔から使われ親しまれた言葉。こういう美しい言葉は、後世に伝え残したいものです。

『昼夜平分』について2017年10月08日

「中秋の名月は、望月が真東から昇る」との持論から、『昼夜平分』を連想しました。
『昼夜平分』とは、
 春分の日・秋分の日に昼と夜の長さが同じになる
ことを言う言葉です。もっとも、実際には「日出・日没の定義」から、緯度によって若干の差がありますが、春分・秋分から3~5日ほど冬至に近い日が『昼夜平分』になります。
 「日出・日没の定義」
  日出・日没は、地上から見た太陽の上の縁が地平線と重なる時刻

実際の『昼夜平分』が春分・秋分からズレるのは、
 ・見かけの太陽の位置は、大気差によって、その直径ほど(約34’)浮き上がって見える
 ・日出日没の定義が太陽の中心ではなく、太陽の上端である
ためです。

ところで気になったのは、春分の日・秋分の日についてどうして『昼夜平分』という言葉が生まれたのか、ということ。

そこで思いついたのは、
 ・昔は、大気差の影響を考慮せず、あくまで天体の位置計算で日出・日没時刻を求めた
 ・昔は、日出・日没の時刻を、太陽の中心で求めた
からではないかと。我ながらもっともな推察だと思いました(^-^)

ところで、ネットで『昼夜平分』を調べると、『昼夜平分』では見つからないんですね。
見つかるのは『昼夜平分点』。これは中国語での、天の赤道と黄道の交点のこと。日本語では『文点』、英語では『equinox』。
参考に広辞苑でも調べてみましたが、なぜか載っていませんでした。コレって一般的な言葉じゃなかったんだ!!

三沢航空科学館で『月見茶会』2017年09月30日

三沢航空科学館で『月見茶会』が開催され、晴れた時に望遠鏡での月見を予定していると連絡があり、出かけました。

航空科学館での天体観望会ではいつも、入り口から少し離れた丘の上に望遠鏡を設置しているのですが、今回は月が見られればイイということで、入り口前に設置。床が木の板なので人が歩くと多少動きますが、ま、いっか。

『月見茶会』は18時から。望遠鏡のセッティングは17時過ぎから始めました。17時ともなると、薄暗くなるこの頃です。私も20cm反射望遠鏡を持参。
天気は薄雲がかかるものの、月は良く見えます。あと土星も見えました。

  館ボランティアの方が土星を導入中。上空には月齢10の月。

茶会が始まるだいぶ前にやってきた参加者に「月を望遠鏡で見ませんか~?」と声をかけて見て頂きました。それぞれに歓声を上げて、喜んで見て頂きました。

茶会が始まると望遠鏡組はヒマなので、館内に入って、エントランスで開催される茶会を見物。



私が会場に入る前に、どうやら茶道の作法の説明があったようです。参加者は小学生と親御さんや、幼児連れの夫婦など。しかし会場の雰囲気は和気あいあいではなく、シーンと静まりかえっていました。

  会場から見える、月齢10の月


参加者の前で男性が茶を点ててその作法をデモンストレーションし、終わると脇で点てたお茶が皆に配られました。



お茶が配られても参加者はすぐには手をつけず、進行の方の合図を待っていました。子供たちは、お茶の前に配られた茶菓子が気になってしょうがなかったようです。
進行の方の合図で、あちこちで、多少戸惑いながらも、茶道の作法に沿った飲み方でお茶がたしなわれました。その最中も、参加者は小声で話す程度。どうも、会場のシ-ンという雰囲気に飲まれた感じでした。

お茶のたしなみが一通り終わると、館の実験工房の方から、月についてのお話。


月見についてどんな説明がされるか楽しみにしたのですが・・・・
実験工房が担当の方だからでしょうか、月見のことではなく、これまで科学館の月の説明で使われたネタをいくつか披露。

「月について、どんなことを聞きたいですか?」でスタート。ちょっと、「オヒッ!」って突っ込みたくなりました (^^ゞ 参加者も拍子抜けしたのか、声が上がりません。
ようやく子供から「ウサギ!」という声が上がると
「そうですね。月の表面がウサギのように見えるといいますね。
 どのようにすれば見えるか分りますか? どうするんだろ?
 月に明るい部分と暗い部分があって、この暗い部分がウサギに見えるそうですが。
 明るい所と暗い所は、岩石の種類が違うんです。
 白いところは斜長岩、黒いところはマグマの貯まった玄武岩でできています。」

って、おひおひ、小学生や一般の人に岩石の種類を言っても・・・

次は、ピンポン球やパチンコ玉などを使って、地球と月の大きさの比較。
最後に、地球と月の距離。


それぞれに、初めて聞く人には興味深いでしょうが、お月見の場で聞きたい無いようかなぁ~?

お茶会が終わって帰る人たちに声をかけて、望遠鏡で月の全体贈や拡大贈、そして土星を見て頂きました。

「参商の如し」2016年09月25日

冬の三つ星・オリオン座の三つ星と、夏の三つ星・さそり座の三つ星がほぼ真反対の位置にあることから、ギリシャ神話ではオリオンは自分が殺されたサソリが空に昇ると西に沈んで逃げていると言われています。
同様に中国でも、オリオンの三つ星「参宿」と、さそり座の三つ星「心宿」を「商」と呼んで、仲の悪い兄弟を離ればなれにして、互いに顔を合わせないようにしていた、という話しがありました。これを四字熟語で「参商之隔(シンショウノカク)」とも言われます。

ところで私はこれを、仲の悪い兄弟の名前が「参」と「商」であると記憶し、星空案内でそのように話していました。ところが、この物語が今読み返しているマンガ『イリヤッド』の中に出て、兄弟の名前ではないことを知りました。

   『イリヤッド 第13巻』

これは、私の記憶を正さねば!と、少し調べました。今はネットで簡単にすぐに調べられるので、本当に便利です。

四字熟語の研究』というサイトに詳しく書かれていました。この物語は中国が春秋時代の『春秋左氏伝』の昭公元年の項にあるとのこと。
  高辛氏の二人の男の子、兄の閼伯と弟の実沈は仲が悪く、喧嘩が絶えず、
  とうとう殺し合いを始めそうになったので、商と参という二つの遠くの国に住まわせ、
  それぞれ商星と参星を司らせ、兄弟は二度と再会することがなかった
ここでは「参」と「商」は国の名前とされています。

併せて8世紀の詩人 杜甫の漢詩も紹介されています。
   人生不相見  (人生 相見えず)
   動如參與商  (動もすれば 參と商の如し)
   今夕復何夕  (今夕は復た何の夕べぞ)
   共此燈燭光  (此の燈燭の光を共にす)
  上記は、杜甫の「贈衛八処士」という漢詩の中の一節である。(中略)
  短い人生においては、参星と商星のごとく、一度別れた人ともう一度会うということは
  難しいものだ。にもかかわらず、あなたとこの灯りの下で会えて本当に嬉しい。
  要は「一期一会」ということなのだろうが、故事を踏まえ、星に喩えところに
  杜甫の非凡さが光る。
このサイトでは、杜甫が「参」と「商」を星に喩えた、と解説しています。

「参」と「商」を国の名前をした場合、「商」は「殷」の別名なのですが、「参」という国名は調べられませんでした。
一方、最初から冬の三つ星と夏の三つ星とした場合、オリオン座の三つ星は「参宿」なので良いのですが、さそり座の「心宿」を「商」とした史料を見たことがありません。どちらが元々なのか?

これを確認するには原典の『春秋左氏伝』にあたればイイわけで。今では原書もネットで見ることができます。中國哲學書電子化計劃というサイトにありました。

昭公元年の項に、次の文章がありました。
 子產曰,昔高辛氏有二子,伯曰閼伯,季曰實沈,居于曠林,不相能也,日尋干戈,
 以相征討,后帝不臧,遷閼伯于商丘,主辰,商人是因,故辰為商星,
 遷實沈于大夏,主參,唐人是因,以服事夏商,其季世曰唐叔虞,

漢文なのでちゃんと読めないのですが (^^ゞ 、たぶん、ここまでの抜き出しで良いかと。
これによると、高辛氏(こうしんし)に二人の子、閼伯(あつはく)と實沈(じつちん)がいたが、仲が悪く、殺し合いになりそうだった。そこで后帝が、閼伯を商丘に移した。そこは辰(アンタレス)なので、これを「商星」と呼ぶ。實沈は大夏に移し、これは参(オリオン座三つ星・参宿)である。

これによると、閼伯は「商丘」、つまり中国河南省にある「商丘市(しょうきゅうし)」に、實沈は「大夏」、つまり中国西北部の「西夏国(大夏国)」に、それぞれ送られた(島流しされた)ということです。ようやく地名が確認できました。

また、「商星」とは「大辰」「大火」、つまり「アンタレス」のことなので、「心宿」とは違うことを発見しました。

あと、「参宿」はオリオンの三つ星だけではなかったことも知りました。

ただ、ちゃんと読めないので、どうして「商丘」が「大辰」なのか、どうして「大夏」が「参宿」なのかが読み取れません。

七夕飾りの意味2016年07月08日

7月7日にラジオ番組で、七夕飾りの意味を紹介していました。飾りに意味があったんですね。
放送を録画できなかったので、ネットで調べてみました。


1.吹き流し


 吹き流しは織り姫の織り糸を象徴するもので、機織りや習い事の上達を願ったもの。

2.巾着


 昔の金銭類を入れた袋。節約やお金が貯まるようにとの願い。

3.投網


 豊漁の祈りと、幸運をたぐり寄せるという意味が込められている。

4.くずかご


 七夕飾りを作り終えたときにでた紙くずなどを拾い集めてくずかごの中に入れたことにより、
 整理整頓、清潔と倹約の祈りが込められている。

5.折鶴


 家族の延命長寿の意味のほかに、
 折り方を学ぶことで、人から教わる心と、人に教える心を学んだ。

6.紙衣


 織物を織る穢れを知らない女性を棚機津女(たなばたつめ)と呼び、
 その女性が織って紙に捧げた衣をさす。
 この衣は、笹の葉飾りの中でも一番上に飾る習慣があるという。
 主な願いは、裁縫の上達や、着る物に不自由しないようにという願いが込められている。

7.短冊


 サトイモの葉にたまった夜露に墨を溶かし、古くは神聖な象徴でもある梶(カジ)の木の葉に
 和歌を書いて願いを綴っていた。
 江戸時代には庶民の間に広がり、「陰陽五行説」に由来する五色の短冊に習い事の上達を
 願った。


私が昔読んだ日本の年中行事の本に、「晴れた夜の翌朝にサトイモなどの葉にたまった夜露を ”星の露” と呼び、日が昇ると空へ帰ると考えられていた。七夕の朝には、子どもたちは朝早くにサトイモの葉にたまった夜露を集めて、その水で墨を磨り短冊に願い事を書いた。その願い事は、夜露が空へ昇って天の神のもとに届くと考えられていた。」というものがありました。とても納得できる話でした。

しかしその本がどれなのか再確認できずにいます。図書館でも、たぶん古い本なので、倉庫に移ったのかもしれません。”星の露” という言葉などは他の本では一切見つからず、ネット検索でもひっかかりません。以前、福岡県で「星の露」という焼酎を販売したことがありましたが、これも今は無いようです。
どこかで ”星の露” という言葉と再会したいものです。