月の和名の意味、由来2018年05月31日

日本には、1月~12月までの和名があります。
平安時代の書かれた日本書紀や万葉集に、「一月」と書いて「ヤヨヒ」などとヨミガナが振られ、漢字が伝わる以前に日本にあった月の呼び名が伝え残されました。

月の和名に、今に伝わる漢字が充てられたのはいつからなのかは分かりません。(ネットにも、手元の本にも見つけられなかった) しかしその漢字は当て字で、いくつかの種類があります。

国立国会図書館のサイトに『和風月名(わふうげつめい)』と、名前と意味が紹介されていました。

旧暦の月 和風月名   由来と解説
   1月 睦月(むつき)
       正月に親類一同が集まる、睦び(親しくする)の月。
   2月 如月(きさらぎ)。衣更着とも言う。
       まだ寒さが残っていて、衣を重ね着する(更に着る)月。
   3月 弥生(やよい)
       木草弥生い茂る(きくさいやおいしげる、草木が生い茂る)月。
   4月 卯月(うづき)
       卯の花の月。
   5月 皐月(さつき)。早月(さつき)とも言う。
       早苗(さなえ)を植える月。
   6月 水無月(みなづき、みなつき)
       水の月(「無」は「の」を意味する)で、田に水を引く月の意と言われる。
   7月 文月(ふみづき、ふづき)
       稲の穂が実る月(穂含月:ほふみづき)
   8月 葉月(はづき、はつき)
       木々の葉落ち月(はおちづき)。
   9月 長月(ながつき、ながづき)
       夜長月(よながづき)。
  10月 神無月(かんなづき)
       神の月(「無」は「の」を意味する)の意味。
       全国の神々が出雲大社に集まり、各地の神々が留守になる月という説もある。
  11月 霜月(しもつき)
       霜の降る月。
  12月 師走(しわす)
       師匠といえども趨走(すうそう、走り回る)する月。

ところで昔は、日本の文化はとにかく大陸から伝わったもので、日本独自のものは無いと考えられていた時代があったようです。そして『暦学史大全』(駿河台出版社、1968)に興味深い解釈が載っていました。
月の和名は、チベット語やレプチャ語(現在はインドと中国に挟まれた地域)に由来している、というのです。これは、日本人の祖先はレプチャ人である、という説に依っています。

  一月:ムツキ、チベット語の雷の月(ブルク)
  二月:キサラギ、チベット語の「2の月(ビザラ・ニ)」
  三月:ヤヨヒ、レプチャ語のマルニョムから転
  四月:ウヅキ、チベット語の「羊の月(ウ・ヅキ)」
  五月:サツキ、チベット語の「猿の月(サルボ)」
  六月:ミナヅキ、チベット語の「鼠の月(ミ・ナ・ツキ)」
  七月:フミツキ、レプチャ語の「鳥の月(フォイ・ツキ)」
  八月:ハヅキ、レプチャ語の「犬の月(ハ・ツキ)」
  九月:ナガツキ、レプチャ語の「輝きの月(ナガ・ツキ)」
  十月:カンナヅキ、チベット語の「牛の月(ガン・ナツキ)」
 十一月:シモツキ、レプチャ語の「虎の月(サシモ・ツキ)」
 十二月:シハス、レプチャ語の「勝利の月(ギャバス)」
   春 :ハル、チベット語の「雪が解ける頃(バャル)」
   夏 :ナツ、レプチャ語の「熱い(ガツ)」からニャツと転
   秋 :アキ、レプチャ語の「実る(アク)」
   冬 :フユ、クマオニ語のフューン

この”日本人の祖先はレプチャ人”説は現在どのようになっているか分かりませんが、よくまぁ、見つけ、あてがったものだなぁ、という感じです。

WordPressでホームページを?2017年12月16日

星空案内人資格認定制度では、星空案内人に興味のある人すべてのためのメーリングリストと、実施団体用のメーリングリストを、山形大学のサーバーをかりて開設していました。ところが今年の春にそのサーバーマシンが壊れ、MLも使えなくなってしまいました。
実施団体用MLは使えないといろいろ不便なため予備のMLを代用することにしたのですが、同じMLとはいえ、代用MLは何となく居心地が悪かったです(気分の問題ですが)。

運営機構ではこれを機会に独自のサーバーを立ち上げて、MLを再開することにしました。
サーバーは、有名・安心・安価な、さくらのレンタルサーバーにしました。
さくらのレンタルサーバーを利用して、早速、まずは実施団体用のMLを立ち上げ、次いで一般用のMLも再開されました。

次のステップとしてホームページの引っ越しが考えられています。
現在の制度のHPは、SiteGoogleを使って必要項目をシンプルに掲載している感じです。そこで引っ越しの際にはより良いデザインや内容にしたいなぁと思い、さくらサーバーで利用できる WordPress をいう機能を使ってみました。

WordPress について調べると、数多くのサイトがこれを利用しているそうです。それも、かなり便利に! コレはなかなか興味深い。

そこで制度のHPを WordPress で作ろうと図書館から本を借りて読むのですが、なかなかピンと来ない(+_+; 頭が老化して、新しいことの理解が難しくなかったか?

本を読むと、自分のPCにローカルのサーバー環境を作って、そこに WordPress を入れ、HP作成の準備ができるとのことなので、まずはコレをやってみることに。

本を見ると、XAMMP とか MAMP というソフトをインストールし、そこでローカルサーバー環境を作って、そこに WordPress をインストールするとのこと。



なかなか面倒だなぁ、と思いつつネットで検索してみると、何と今は、とても簡単に WordPress 環境を作れるソフトのあることを知りました。LOCAL FlyWheel というようです。


これをインストールすると、すぐに、単純に WordPress をインストールして、すぐに使えるようになりました。



まずはデフォルトのテーマを使って、操作方法の勉強と練習。

しかし・・・ 
WordPress では、世界中の利用者が作って公開しているテーマがたくさんあるのですが、制度のHPに使えそうなテーマがどうにも見つかりません。何か変だゾ?

で、WordPressのことを知っている人に聞いてみると、どうやら WordPress のテーマのほとんどは日記ブログや写真ブログ用なのだそうです。こりゃ、制度HPの引っ越しは当分先かなぁ~?

月の大小の覚え方2017年10月21日

今夜は、星のソムリエ講座@八戸の『星空案内の実際』。いろいろあったけど、なんとか今年度も講座が終了しました。

先々週(10月7日)は、『星空の文化に親しむ』で私が講師を務めました。今回はレポートは配布テキスト任せにして、いろんな話で暴走しました(^o^)

暦の話の時に、驚きの事実が!
今どきの若い人は、今の暦の ”小の月” の覚え方、「にしむくサムライ」を知らないんですね!
年のいった受講生さんたちは、ウンウンとうなずいていますが、若い人は「何、ソレ?」状態。
今どきの人にとって、暦日はカレンダーやスマホで見る ”デジタル” なんだな、と思いました。

仕事中にそれを思い出して職場の人に知っているか聞いたところ、誰も知りません!!
それをFacebookに書いたところ、FB友人も知りませんでした!!!
あぁ、コレを知っているかどうかは、世代・年代ではなく、環境だったのですね。

  伊勢暦に見入る女性 (国立国会図書館、日本の暦から)

人類が最初に作ったであろう、月の満ち欠けの周期に依った ”太陰暦” は、月の満ち欠けがおよそ29.5日周期なので、29日の月と30日の月を交互に置くことで、暦日と月齢をほぼ一致させることができました。

それがやがて、暦日を季節変化にもおおよそ合せるために、何年かに一度ひと月を増やす ”太陰太陽暦” が作られ、それが日本でも長きに渡って使われました。

日本人は実にことば遊びが好きな民族で、江戸時代に暦が印刷されて庶民の手に入るようになると、毎年の大小の月を覚える方法を生み出しました。それが言葉遊びであったり、一年の暦の大小を絵で表した ”大小暦” であったり。

  慶應3年(1867)の大小暦 (国立国会図書館、日本の暦から)

上の、うさぎの餅つきの大小暦では、臼に大の月、うさぎに小の月が隠れ文字になっています。
  大の月:  2 , 4 , 8 , 10 , 11 , 12
  小の月:  1 , 3 , 5 , 6 , 7 , 9



  文久2年(1862)の大小暦 (国立国会図書館、日本の暦から)

これなどはとても分かりやすい。着物に各月の大小がそのまま描かれています。
8月が ”大” と ”小” が重なっていることから、閏八月があることが分ります。

  大の月:  1 , 3 , 4 , 6 , 8 , 9 , 11
  小の月:  2 , 5 , 7 , 閏8 , 10 ,12


国会図書館のサイトには、他にも様々な大小暦が置かれています。初級編、中級編、上級編とあって、とても楽しいです。

大小暦の他にも、覚え唄も作られました。

「大庭を しろくはく霜 師走哉」(元禄10年)
  「大庭」は大と 二、「しろくはく霜」は 四、六、八、九、霜月、そして師走
  つまり、この年の大の月は、二、 四、六、八、九、十一、十二

「大小と じゅんにかぞえて ぼんおどり」(寛政13年)
  この年はたまたま大の月と小の月が交互になった。
  大の月は、正月、三、五、七、
  そして「ぼんおどり」でお盆の七月が「おどり」繰り返して、つまり閏七月があるとして、
  その後は八、十、十二月が大の月。

「大好は 雑煮 草餅 柏餅 盆のぼた餅 亥の子 寒餅」(宝暦13年)
  この年は大の月が 正月、三、五、七、十、十二 だった。
  そこで「大好き」(大月)を餅づくしで覚えさせようとした。
  雑煮(正月)、草餅(三月)、柏餅(五月)、
  盆のぼた餅(七月)、亥の子餅(十月)、寒餅(十二月)

このように江戸っ子は何でもかんでも遊びにしてしまう、遊びの達人だったのですね。

そんな楽しい伝統の流れを組む、現代の 小の月 の覚え方
  「にしむくサムライ」
  二、四、六、九、十一(士)
も、後世に残し伝えたいものです。

『昼夜平分』について2017年10月08日

「中秋の名月は、望月が真東から昇る」との持論から、『昼夜平分』を連想しました。
『昼夜平分』とは、
 春分の日・秋分の日に昼と夜の長さが同じになる
ことを言う言葉です。もっとも、実際には「日出・日没の定義」から、緯度によって若干の差がありますが、春分・秋分から3~5日ほど冬至に近い日が『昼夜平分』になります。
 「日出・日没の定義」
  日出・日没は、地上から見た太陽の上の縁が地平線と重なる時刻

実際の『昼夜平分』が春分・秋分からズレるのは、
 ・見かけの太陽の位置は、大気差によって、その直径ほど(約34’)浮き上がって見える
 ・日出日没の定義が太陽の中心ではなく、太陽の上端である
ためです。

ところで気になったのは、春分の日・秋分の日についてどうして『昼夜平分』という言葉が生まれたのか、ということ。

そこで思いついたのは、
 ・昔は、大気差の影響を考慮せず、あくまで天体の位置計算で日出・日没時刻を求めた
 ・昔は、日出・日没の時刻を、太陽の中心で求めた
からではないかと。我ながらもっともな推察だと思いました(^-^)

ところで、ネットで『昼夜平分』を調べると、『昼夜平分』では見つからないんですね。
見つかるのは『昼夜平分点』。これは中国語での、天の赤道と黄道の交点のこと。日本語では『文点』、英語では『equinox』。
参考に広辞苑でも調べてみましたが、なぜか載っていませんでした。コレって一般的な言葉じゃなかったんだ!!

中秋の名月あれこれ2017年10月04日

今年の中秋の名月は10月4日。一方 満月は2日後の10月6日。そのため今年は「中秋の名月は満月とは限らない」ということがTVやネットニュースでよく取り上げられました。

『中秋の名月』が「旧暦(太陰暦)の八月十五日の月」ということはある程度知られています。しかしここに、「”旧暦” はいつまで使い続けられるのか?」という問題があります。

例えば ”五節句”と呼ばれる、一月七日:人日の節句、三月三日:上巳の節句(桃の節句)、五月五日:端午の節句、七月七日:星の節句(七夕)、九月九日:重陽の節句(菊の節句)は、現在は ”新暦” である太陽暦の暦日で当たり前のように行われています。

ところがその中で、天文的年中行事である七夕だけは、「新暦だと天の川が見頃ではない」ということで、今でも ”旧暦” での七月七日が重宝されています。これに危惧した国立天文台では「伝統的七夕の日」の日付を公表しているのですが、この言葉はあまり広がっていないようです。

そして、同じく天文的年中行事である中秋の名月も、”旧暦”での八月十五日とされて、ここでも”旧暦” が使われ続けています。この状況は危惧されるべきと思うのですが、それが天文の分野で使い続けられるのは悩ましいものです。

そこで中秋の名月の日付を ”旧暦” を使わないで求める方法。これは極めて単純です。
  「”秋分の日” の前の新月の日から15日後」

太陰太陽暦は、二十四節気の内の ”中気” とされる日を各月入るように作ります。太陰暦の八月の中気は ”秋分の日” です。そして、その前の新月の日が八月一日になり、それから15日目が八月十五日になる、というワケです。そしてこの方法では ”旧暦” を使う必要がありません。


次に、どうして『お月見』が太陰暦の八月十五日に行われるかについて、いくつかの”思いつき”の説が、それが正しいかのように語られます。

説1:毎月満月があるが、秋は空気が澄んで、一年で一番明るくきれいに見える
説2:夏の満月は南中高度が低く、冬の満月は高い。秋の満月はちょうど見やすい高度

しかし残念なことに、このどちらも憶測にすぎません。時に ”説1” などは、天文家からすると誤りであることがすぐに分ります。
”説2” についても、「なぜ中秋の名月の日を、月の南中高度で決めるのか?」という疑問には答えられません。一般にお月見とは「月の出を楽しむ」とされているのに、です。

日本での名月の日取りについて、私は個人的に
 「満月に近い月が ”真東” から昇るから」
と考えています。この考えに依ると、後の名月が九月十三日である理由も説明できます。しかしこの私の説と同感の方はいないようで、ネットでも書籍でも見ることがありません (+_+)


中国では、唐の玄宗皇帝の代から八月十五日に観月行事が行われるようになる以前から、八月十五日の月を特別なものとしていました。例えば『嫦娥奔月』(じょうがほんげつ)とも呼ばれる、中国神話の英雄である后羿(こうげい)の妻 嫦娥(じょうが)が月に昇ったのが八月十五日です。
また中国の思想の影響を受けていると思われる、平安時代に書かれた小説『竹取りの翁の物語(通称:かぐや姫の物語)』でかぐや姫が月にに帰ったのも八月十五日です。

このように古代中国で陰暦 八月十五日の月は特別なものとされていたのですが、その理由はまだ見いだせていません。

原始人の暦?2017年06月01日

以前、何かの本で
 「原始人が月の満ち欠けを観測して、その日数を骨に刻んだ」
とされた骨の写真を見たのですが、それが何の本なのか分らず、骨の呼び名も分らず、調べようにも調べられない、そんな数ある案件の一つが解決しました!

久々に町の図書館に行き、新しく入った本の中に
 「数学 ~新たな数と理論の発見史~」(丸善出版、2016)
があり、その中にその骨のことが書かれていました!! この骨は「イシャンゴの骨」と呼ばれるのだそうです。

この本にはそれ以上の詳しいことは書かれていなかったのですが、呼び名さえ分れば、あとはネットで調べることができます。早速ググると、Wikipediaのページがありました。


Wikipediaによると、「イシャンゴの骨」は1960年にナイル川源流域にあたるエドワード湖の北西のイシャンゴと呼ばれた段丘で見つかった遺跡の中にあったそうです。遺跡は小さな集落が火山の噴火で埋没したもの。骨の年代は、初め紀元前9000~6500年頃とされていましたが、発見場所の遺跡の年代測定をやり直したところ、1万6千年~2万5千年であるとされています。

「イシャンゴの骨」にある刻みには、「数学説」と「カレンダー説」があるといいます。しかし「カレンダー説」は、イシャンゴの住人たちが雨季と乾季で住む場所を変えていたと考えられることからの推測とのことなので、根拠が弱いです。「数学説」も、諸説あるものの、どれも根拠が弱いようで。

  Wikipediaより

原始人が動物の骨にわざわざ刻みを付けるからには、何かしらを数えたワケで。
当時の人たちには、どんなものを数える必要があったのだろう?
それを解明するには、やはり刻みの数からだろうか?

ja.wikipedia には、他にも様々な天文に関係ある、またはありそうな、遺産が紹介されています。
  https://ja.wikipedia.or.jp/wiki/天文遺産の一覧

月の和名は旧暦で2017年01月31日

ほとんどのカレンダーに毎月の和名が並記されています。しかし、その名の意味や由来を知ると、和名は陰暦で使うべきではないかと思うのですが。ちなみに広辞苑にはそれぞれ『旧暦での月の異称』と書かれています。

この『和風月名』の由来はハッキリとには分かっておらず、諸説あります。以下は『現代こよみ読み書き事典』(柏書房、1993)から。

一月:睦月(むつき)
 正月は身分の上下なく、また老いも若きもお互いに往来して拝賀し、
 親族一同集まって娯楽遊宴するという睦み月の意であるとし、このムツビツキが訛った。

二月:如月(きさらぎ)
 二月はまだ寒さが残っているので衣を更に重ね着するから「きぬさらにき月」と
 言ったのが短くなり「衣更着」となったという説がある。
 また、「草木張月」(くさきはりづき→きはりづき→きさらづき→きさらぎ)や、
 陽の気が更に来るから、という説もある。

三月:弥生(やよい)
 『枕草子』に「やよい三日はうらうらとのどかに照りたる…」と用いられるように、
 木草弥(いや)生(お)い茂る月(くさきいやおいづき)が詰まったとする説が有力。

四月:卯月(うづき)
 新暦の4月は春たけなわの季節だが、旧暦では四月からすにで夏に入り、
 古来、宮中では四月一日を更衣(ころもがえ)の日とした。
 ウヅキを卯月と書くようになったのはかなり後世のことで、奈良時代の人は知らなかった。
 卯月の由来は、「うの花さかりにひらくゆゑに、うの花づきをいふをあやまれり」と、
 「卯の花月」の略というのが定説。

五月:皐月(さつき)、早月とも書く
 旧暦五月は梅雨の季節。
 この月は田植えが盛んで、早苗を植える月の意で早苗月といっていたのを略した。
 またサツキのサは、紙に捧げる稲の意で、そこから稲を植える月の意になったとも。

六月:水無月(みなづき)
 「水無し月」の転で、梅雨も終わって水も涸れ果てるという説。
 これとは逆に、田植えもすみ、田ごとに水を張る「水張り月」「水(みな)月」であるといいう説。
 現代は、「田水之月(たみのづき)」 の略転だとしており、「水を田に注ぎ入れる月の意」、
 「水の月」としている。

七月:文月(ふみづき)
 七月七日の七夕にちなんだ呼び名というのが定説になっている。
 しかし七夕行事は奈良時代に中国から輸入されたもので、もともと日本には無い風習。
 このことから、稲の「穂含月(ほふみづき)」だとする説や、「含月(ふくみづき)」だと
 するほうが、水稲耕作に結びついて納得がいく。

八月:葉月(はづき)
 木の葉が落ちる月、「葉落る月」「葉月」が訛ったものであるという説がある。

九月:長月(ながつき)
 古来から、「夜長月」の略であるとする説が有力。

十月:神無月(かみなづき)
 「十月 かみなづき 出雲国には鎮祭月といふ」(八雲御抄)とあるところから知れるように、
 古くから神無月(かみなしづき)が有力。しかし異説が多い。
 十月は雷の鳴らなくなる月、ゆえに「雷なし月」だという説がある。
 さらに「神嘗月(かんなめづき)」「紙祭月(かみまつりづき)」または「神の月」が
 カミナヅキの語源であるとする説もある。
 現代では、十月は翌月の新嘗(にいなめ)の準備として新酒を醸す月、すなわち
 「醸成月(かみなんづき)」の意からきており、神無月は当て字だとする説が有力である。
 一般には「神嘗月(かんなめづき)」の意であると考えたほうが納得がいく。

十一月:霜月(しもつき)
 字義通り霜が降る月であるからとする説が有力。
 現代では、「食物月(おしものづき)」であるとして、「新嘗祭を初として民間にても
 新饗(にいあえ)する」とする説などがある。

十二月:師走(しわす)
 シハスを師走と書く由来については諸説がある。
 十二月は一年の終わりで、皆忙しく、支障といえぞも趨走(すうそう、ちょこちょこ走る)する、
 というもので、「師趨(しすう)」となり、これが「師走」となったとの説が一般的である。
 また、師走の「師」は法師の意であるとし、十二月は僧を迎えて経を読ませる風があったので、
 師が走る「師馳月(しはせづき)」であり、これが略されたものであるという説もある。
 現代では、「歳極(としはつ)の略転かという。あるいは万事、為果(しは)つる月の意。
 又、農事終るの意か」という説もある。

『元日』と『元旦』2017年01月11日

10年ほど昔、ラジオの情報番組で、漢和辞典が一新改訂されるという話しを聞きました。
漢和辞典とはそもそも漢詩を読むときに参照する辞典だということなのですが、近年は需要が少なくなって売れなくなり、そのため内容を大きく改訂したのだといいます。その例えで「花のコスモス」を引いたときに「秋桜」が出るようにしたとのこと。

このときは、漢和辞典の役割と、その例に、ただ単に「へぇ、そうなんだ」と思っただけだったのですが、今よく考えると奥の深い話しだったことを知りました。

年末にBS朝日で、加山雄三の『歌っていいだろう』のいくつかの回の再放送があり、さだまさしさんの回の時の話し。
山口百恵さんに曲を書いてくれるよう依頼があった時に、当時25・6歳のさださんは18歳の百恵さんを見て、「この娘はずっと芸能界にいる人じゃないだろう。」と感じ、そうなると彼女に贈る曲は寿退社がイイだろうと考え、娘が結婚で家を出るという曲を書いたというのでした。
このとき、この曲のタイトルは『小春日和』だったものが、音楽プロデューサーから「歌詞の中に”秋桜”という言葉に”コスモス”ってルビ振ってるけど、これイイのでタイトルにしませんか?」と言われ、『秋桜(コスモス)』という曲にしたのだといいます。
その当時、まだ『コスモス』の和名である『秋桜(あきざくら)』という言葉は世間で認知されておらず、百恵さんの曲で『秋桜』という読みが知られるようになり、今ではATOKの変換候補にもなったとのこと。

話しは変り、『元日』と『元旦』のこと。

本体『旦』という字は、水平線や地平線の上に太陽がある様子を表す表意文字で、朝を表し、『元旦』とは『元朝』と同義語。
そのため「元旦の朝」や「元日の午後・夜」という使い方は誤り。
そう、ずっと思っていました。

しかし年末の天文情報で国立天文台の渡部潤一さんが、「元旦に海王星を探してみよう」という記事を書き、その中で「元旦の18時30分の南西の夜空」というように、『元日』の意味で『元旦』を使っていました。

このことをFacebookで指摘すると知人から「『元旦』には『元日』の意味もあるみたいだよ」とコメントをもらい、Wikipedia に「日本国語辞典」(小学館)からの情報で「元日は元旦と同義」と書かれ、また手元の広辞苑にも【元旦】には「元日の朝。元朝。また元日。一月一日。」とあり、『元旦』の使い方が『元日』と同じで良いとされていることを知りました。
ということは、『元旦』=『元朝』であり、『元日』として使うべきではないと目くじらたてるべきではない?

ということで、久々に図書館でいろんな辞典で『元旦』の意味を調べてみました。

広辞苑第6版では
  元日の朝。元朝。また、元日。一月一日。
  年の初めの日。正月の第一日。
大辞林第三版(2006)には
  元日の朝。元朝。
  また一月一日。元日。
と、この2冊は「元日」と同義派でした。

一方、大辞泉第二版(1995)では
  元日の朝。元朝。また、元日。
としながらも、[補説]で
  「旦」は「朝・夜明け」の意であるから、
  「元旦」を「元日」の意で使うのは
  誤り。ただし、「元日」と同じように
  使う人も多い。
と、「元日」と同じく使うのは誤りとし、しかし現在ではそう使う人も多い、としていました。
また三省堂国語辞典第六版(2008)には
 【元旦】
  元日の朝。元朝。
  (あやまって)元日。
として、「元日」と同じく使うのは誤りとしていました。
さらに学研 新漢和辞典(2005)では
 【元旦】一月一日の朝。
とだけ書いていました。

つまり、やはり『元旦』は『元朝』であって、『元日』と同義で扱うのは、現在はそのような用例があるものの、ハッキリと誤りとされていました。
このように確認ができましたので、これからも目くじらを立てていきたいと思います(^-^)

カレンダーの起源と月の満ち欠け2017年01月04日

職場で地方紙新聞「デーリー東北」の1月1日版を見かけ、そのコラム「天鐘」を読みました。内容はカレンダー・暦について。

   デーリー東北 1月1日 「天鐘」

いろんな新聞のこういったコラム欄を読みますが、「デーリー東北」紙の「天鐘」は主題に関連したいろんな情報の詰め合わせで、時には寄り道が過ぎることもあって、私はあまり好みではなかったのですが、今回の文章ではさらに突っ込みドコロも。

   はるか昔の紀元前18世紀頃。
  古代バビロニアの僧侶たちは夜
  ごと寺院の屋上で月を観察して
  いた。そこで彼らが発見したの
  は、月の満ち欠けには一定の法
  則があるという事実▼暦の起源をさかのぼ
  ると、そんな逸話に突き当たる。

カレンダーの起源は古く、古代メソポタミアでは紀元前2500年頃にはすでに月の満ち欠け周期を一月とし、太陽が天球を一周する周期を一年とした太陰太陽暦を使っていました。ただこの頃はまだどれだけの頻度で閏月を加えれば良いのかハッキリとはしていませんでした。
紀元前747年から月の満ち欠けの日数が観測され、前6世紀に8年に3回閏月を入れる「八年三閏法」が考案され、前529年から504年まで使われました。またその後の観測から「十九年七閏法」が考案され、紀元前383年から使われるようになりました。

人類が月の満ち欠けの周期を認識したのは、文献に残されるよりはるか前のことで、当然ながらそれを示す文献は存在しません。もっとも原始人が動物の骨に刻んだ傷の回数が月の満ち欠けの日数と同じことから、これは月の満ち欠けの観測記録ではないかと考えられています。

年の初めに星始め2017年01月01日

西暦2017年、平成29年の始まりの日。
正月元旦。

「旦」の文字は、水平線や地平線のすぐ上に「日」がある、つまり「朝」を表すもので、つまり「元旦」とは「元朝」の意味であり、『元旦の朝』とか『元旦の午後』といった表現は誤りであると、「旦」の字の意味を知ってからそのように思っていたし、いくつかの国語辞典でもそのように書かれていたのですが、年末にFacebookで知人から「辞書に、元日の意味でも使われる、ってあるよ」と知らされ、広辞苑で確認したら、確かにそう書いてあった。
これは驚きでした。
今年はこの用例について調べてみようと思っています。

さて、我が家は青森県の太平洋側の方面なので、元旦に晴れそうなら初日の出を撮影に海岸などへ出かけることが多かったのですが、最近は腰が重くなって・・・ (^^ゞ
天気予報では曇るとのことだったので、安心して(?)、朝はゆっくり起きることにしました。
でも、起きたら晴れていた・・・ ま、いっか(^-^)

それでも日中は雲が広がり、いつもの冬の天気模様に。
出かけ先で雲を通して いわゆる「ヤコブの梯子」(天使の梯子とも)が見えていたので、パチリ。


夜は完曇かと思いきや、結構晴れ間があって、西空に月齢3の月がきれいに見えていました。
しかしカメラを用意しているうちに雲に隠れ、とりあえずみずがめ座にいる金星と火星を撮影。


頭上には、ちぎれ雲が流れながらもペルセウス座やすばるが見えていました。


今冬の年末年始は珍しくもほとんど積雪がありません。除雪作業もまだ1回しかしてません!
雪が無いといろいろ楽なのですが、自然はしっかり帳尻合わせをするもので・・・
いつ頃にどれだけまとまった大雪が降るか、不安になる年明けでした。