中秋節の起源 『嫦娥奔月』逸話2015年10月04日

中国のサイトで中秋節の起源を調べると、后羿(こうげい)の妻 嫦娥(じょうが)が月に昇ったのが八月十五日で、妻を懐かしんで羿が満月に供え物をして拝んだ様子を街の人々も真似たもの、という物語が多くのサイトで紹介されています。

ところが、日本で入手できる文献では、物語は大きく異なっています。
『中国の神話伝説(上)』(青土社)には、多くの文献を参照して、次のような物語にまとめられて記されています。

古代中国では、太陽は10個あり、それぞれに三本足の烏が精となって、東の果ての湯谷(ようこく)にある扶桑の木に泊まり、毎日一つずつ天空を飛んで西に行き、再び木に戻って休んでいました。(このことから、10個の太陽の出が一巡すること、つまり10日間を「旬」と呼ぶ) これらは天帝の子供でもありました。

尭(ぎょう)の時代(神話時代)に、この10個の太陽が一斉に天に現れ、地上は厳しい旱魃となり、様々な怪物が出現しては、人々を苦しめていました。
皇帝 尭は毎日 天帝に祈り、天帝もこのことを承知しており、子供たちのいたずらをほおっておけないとして、懲らしめるために弓の名手である 羿 に10本の矢を与えて地上に向かわせました。この際、妻 嫦娥(姮娥(こうが)とも)も一緒でした。

地上に降りた 羿 は、毎日10個の太陽に照りつけられ苦しんでいる人々から厚く歓迎され、弓矢で太陽を脅すだけでは済まなくなり、一本の矢を取り出し、太陽の一つを射落としました。これにより気温が少し低くなり、人々は拍手喝采しました。
勢いに乗じて 羿 は次々と矢をつがえては、太陽を次々と射落としていきました。この様子を見た尭は、羿 が太陽を10個全て射落とすといけないと考えて、矢を1本抜き取りました。そのため 羿 は、太陽を一つだけ残して、他を射落としました。


太陽の害は取り除かれましたが、怪物がまだ人々を困らせています。そこで 羿 は、これらの怪物の退治も行いました。喜んだ人々は 羿 を王に迎えました。
しかし、これは文献には書かれていないそうですが、羿 は天帝の命で天界へ還ることが許されず、妻と共に、普通の人(つまり、不老不死ではない)とされてしまいました。一説には、天帝の子供であった太陽を、脅すだけのはずが殺されたことに天帝が怒ったから、といわれます。

夫 羿 のために、同じく天人から地上の人になった 妻 嫦娥 は怒り、不満を抱いていました。また不老不死でなくなったため、死ぬことを恐れる日々を過ごしていました。
そんな時、崑崙山の西方にいる「西王母」という神人が不死の薬を持っていることを知り、羿 はこれをもらいに行くことにしました。
羿 は、残っていた神力と不屈の意志で崑崙山に登り、西王母に不老不死の薬を求めました。西王母jは 羿 が10個の太陽の件と、そのために天人から地人になった非情を知ると、今ある不老不死の薬を与えました。
「この薬は、あなたたち夫婦二人で飲んで不死になるのに十分な量です。
 もし一人で飲めば、天に昇って神になれます。」
と伝えました。

西王母から不死の薬をもらった 羿 は喜び勇んで妻の許へ戻ると、事情を説明し、日を選んで一緒に飲もうと妻に保管させました。


ところが妻の 嫦娥 は、自分が天に戻れなくなったのは夫の巻き添えだと考え、夫が留守のときに、一人で薬を飲んでしまいました。すると体が宙に浮き、天へ昇っていきました。
しかし 嫦娥 は、自分一人が天界へ行けば、夫に背いた妻だと神々に辱められると考え、月の宮へ行くことにしました。

このことを『嫦娥奔月』といいます。

このようにして、月宮殿には 嫦娥 がいると考えられるようになり、彼女は不老不死の美女であるとされ、若い女性たちは、西空低くに見える細い三日月を美人の眉毛に見立て、嫦娥 のように、いつまでも美しくいられるようにと願うようになりました。(このため、三日月の別名に「眉月」がある)


さて、文献には上のような悪女の物語が記されているのですが、中国のサイトには別の物語が紹介されています。一番詳しいのは、「中華人民共和国中央人民政府」のサイトの「中秋伝説」かな。

  http://big5.gov.cn/gate/big5/www.gov.cn/fwxx/wy/2006-09/20/content_393762.htm


これによると、地上の人であった 羿 が崑崙山に登って9個の太陽を射落とし、後に 嫦娥 という美女(こちらも地人)を妻に迎えました。また西王母から不老不死の薬ももらいました。
羿 は弓の名手あったため、弟子をとって教えていました。あるとき弟子を連れて山へ訓練に行ったのですが、弟子のひとり 蓬蒙 が仮病で休むと、隠していた不死の薬を飲もうとしました。
これに気付いた 嫦娥 は、弟子に飲まれるくらいならと、自分で飲んでしまいました。すると、嫦娥 は天人となって、天に昇って行きました。しかし 嫦娥 は天へは向かわず、月宮殿に向かいました。

自宅に戻った 羿 は、侍女から事の次第を聞くと嘆き悲しみ、中秋節の月に、妻のために食べ物を供えては妻の平安を祈るのでした。
この様子が人々に広まり、中秋節の月を仰ぐ風習が広まりました。


この物語はよくできたもので、たぶん中国ではこちらの方がよく知られ、劇やドラマなどになっているようです。
残念ながら、日本にある本で典拠は調べられませんが、中国政府のHPにあるのですから、それなりに参考文献があるのでしょうね。

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